出たら、謝ろうと思った。
いや、自分のことだから真っ先に怒鳴ったとは思うけれど、お前何考えてんだよって怒ったあとは、
謝ろうと思っていた。
それなのに、

「(何で通じねぇんだよ!)」

跡部はむなしく鳴り続ける電子音をボタンを押して遮った。
くそっ、と近くにあった石を蹴り上げる。
やっと決心して会いに行こうと思って、とりあえず電話をしてみればこれだ。出鼻をくじかれた気分だった。
俺からの電話だと、あいつはすぐに気づくはずなのに。
「俺」からだと分かるからこそ出ない、のか。
そんなことを考えていた跡部に、ふと、別の嫌な予感がした。

「(まさか……女にかけてるんじゃねぇだろうな)」

あいつなら有り得る。
この一週間、街中でナンパなんかしてたから来なかったってのか?

有り得る。

「くそっ! 女なんかにうつつ抜かしてんじゃねぇよ!」
苦々しく呟くと、跡部は足早に学校を後にした。





二十億光年の孤独な恋を越え 3






「出ない……」
何回聞いたか分からない呼び出し音をようやく千石は切った。
この時間ならまだ部活始まってないと思ったんだけどな。
じっと携帯を見つめる。
電話帳に表示された跡部景吾の名。
跡部くんあんまりケータイ使わないって言ってたよね。
めんどくさいって。
……それだから俺にメールも電話もなかなくれないわけだけど。

「(誰と、話してたんだろう)」

めったに使わないケータイで話す相手。
まさか……お、女の子とか?!
…………まさかね。
自分の考えたことに苦笑いして、打ち消すように頭を振る。けれど一度抱いた疑惑は消えない。
俺が連絡しなくなって、一週間しか経ってないのに? (いや一週間経ってると言った方がいいけど)
だから俺に連絡しないし、電話に出る必要はないぜ、みたいな?

もう用なし、みたいな。


何かが千石の中でぶちっと音を立てて切れた。

……千石くんにだってねえ、我慢の限界ってもんがあるんですよ!


勢いよくドアを開けて部室に戻ってきた、明らかにさっきと雰囲気の違う千石を、南たちは手を止め、見つめた。
机の上に置いてあったカバンをひったくるようにして、千石はまた外へ出て行こうとする。
それを南がそっと呼び止める。
「あの、千石?」
「南」
「あ、はい」
やたら強い千石の語気に南の口調は思わず丁寧なものになる。
「俺跡部くんに会ってくる。今日部活休むから」
「あ、うん、それは構わないけど。電話、通じたんだな」
「通じなかった。だから行ってくる」
にっこり笑うと千石は風のように去っていった。
「え?」
あっけに取られた南を始めとする部員の中で、一人室町がもはや他人事と言うように呟く。
「どうでもいいんですけど、千石さん、目笑ってなかったですね」
「う……東方、いつものくれ」
「おっけー」
千石のかわりに今度は南が机に突っ伏した。
大事にならなきゃいいがとか、ああ何でウチはこうとか、ため息まじりの呟きが聞こえる。
室町は、人知れず、まったくようと心の中で呟いた。





駅のプラットホームから、階段を駆け下りる。
何度か来たことのある駅前はロータリーになっていて、そこから山吹中へ行くバスも出ていたが、跡部がバス停に目をやると、待っている人はまばらで、バスが行ってしまったばかりなのがうかがえた。
しょうがねぇ歩くか。
駅から山吹中はさほど遠くはない。15分もあれば着く。
自然と、足が速くなった。
行ってどうなるのだろう、そういう思いが時折過ぎった。
行ってどうするのか。
そもそも、会えるのだろうか。
「(・・・そんなの分かんねぇよ!)」
靄を打ち払うように、跡部は舌打つ。
ただ、会えるだろうと漠然とした確信だけがあった。
次第に早く流れていく人込みの景色の中、捜す。目的は見つからない。

どうして俺が、あの太陽のような髪の色を見逃そうか。





「何やってんだよ!」
「うわあ!!」
植え込みの向こう、公園の外からした思いがけない大声に、千石は飛び上がった。
運悪くバスが行ってしまい、千石は走って駅へ向かっていて、近道と公園の中を突っ切っているときだった。
今まさに会いにいこうとしていた人の声が自分を呼び止めた。
千石がそうっと振り返ると、ずかずかと大またで公園に入ってくる跡部の姿が目に入る。
「あ、跡部くん!」
眉間にシワを寄せ、明らかに不機嫌と見て取れる跡部だったが、息が切れていて、大きく息を吐き、呼吸を整えている様を見ると、どうやらここまで走ってきたのが分かった。
一方跡部も、千石の息が上がってるのを見、焦った顔に汗が光るのが見え、襟元をゆるめているのに気づき、ああこいつも走ってきたのかと思った。
久しぶりの再会はこんな感じで最悪な状態だったけれど、お互いの顔を見て、元気そうで良かったと少しほっとしていた。
息が整ったところで、跡部がようやく口を開いた。
「……お前何で、一週間も連絡よこさねぇんだよ」
謝るはずが出てきたのは責める言葉。待ってたのに、その言葉も飲み込んでしまった。
千石は、何も答えないかわりに俯く。
「あんだけぎゃあぎゃあうるさくまとわりついてたくせに、何だって言うんだよ。
人がこうして来てみれば別になんてことはねぇみてえだし」
ひとつ跡部はため息をつく。
千石は俯いたままだ。言おうとした文句は何ひとつとして出てこなかった。

自分だって連絡くれなかったじゃないか。
俺だって部活あるんだよ。
さっき、話し中だったでしょう。

全部、跡部の顔を見たらもう言えなかった。

ずっと、俺はこうなんじゃないだろうか。
俺たちは何も変われないんじゃないだろうか。

そんなことを考えた。

「……黙ってねぇで何か言ったらどうなんだよアーン?」
跡部の声が遠くに聞こえる。唇を血が滲みそうなくらい強く、噛み締めた。
ああもう、終わってしまうのか、そう思うと苦しかった。

「おい、聞いてん……」
千石は片手を突き出すようにして、跡部の言葉を遮り、拒んだ。
そして、


もう別れよう


とぽそりと言った。
突然の別れの言葉に、跡部は言葉に詰まる。
そうして何もいえないうちに千石が顔を上げ、出来る限りの笑顔で言った。
「別れよう、跡部くん。もう俺ダメだよ。……じゃあね!」
その笑顔が跡部は引っかかった。時折する、寂しそうな笑顔だった。

どうしようもなく、腹が立った。

踵を返してこの公園から出て行こうとする、千石の手を掴む。
「待てよ! 何でお前こんなときまで笑ってんだよ!
お前はいつもそうだ、笑ってばかりで、俺もそうだけど、お前こそホントのことは何も言わない。
好きだなんてよく言えたもんだよないつもいつも! 肝心なことはいつも笑ってごまかしてきたくせに!
今日だって俺に何か言うために走ってきたんじゃねぇのかよ! 
なのに、出てきた言葉が別れようだと? バカにすんな!」
そこまで一気にまくし立てると跡部は一息ついた。そしてキッと千石を見据えると、
「……最後くらい、本当のこと言って別れようぜ。心の底から嫌いになって、それから別れようぜ」
と言って、手を離した。
自由になった手を千石はぎゅっと握り締めた。
「嫌い」という言葉がやけに耳に残った。
肺が千切れそうに痛くなって、気がついたら叫んでいた。

「何言ってんだよバカ跡部! 嫌いなんて一言も言ってないじゃないか!
嫌いになんて……なるわけないじゃないか!」

跡部はびっくりした顔して、目を大きくして千石を見つめていた。

「ああそうだよ、俺はいつも笑って、肝心なことは何も言えないよ!
今日だって君に会ったらぶちまけてやろうと思ってた。
何でメールも電話もくんないんだよって、何で電話出ねぇんだよって、女にうつつ抜かしてんじゃねえって、いろいろ言うつもりだったよ! でも・・・・・・君の顔見たら言えなかった。
俺が君に何も言えないのは、君に、嫌われたくないからだ」

急に自分の気持ちをさらし始めた千石に驚いた跡部だったが、我に返ると自分も負けじと言い返した。

「っなんだよ! いつもそうやって言えばいいだろ! 何だよ、嫌われるのが怖いって!」
「君が好きだからだよ! 君に好きでいてほしんだよ!
だからほら、俺はこうやって好きって伝えてるのに、君は好きって言ってくれない。
ホントに肝心なことを言わないのそっちじゃないか!」
「・・・好きに決まってるだろ! だからこうして来てんだよ! 好きじゃなきゃ、走って、必死になって捜すかバカ!」
「こっこんなときだけ好きって言うなよバカ跡部! 俺はいつも言葉にしてほしいんだ!
君の言葉がほしいんだよ!
俺は!
いつも、君の言葉がほしいんだよ……!」
「……言ったな!」

広い、誰もいない公園で、ひとり叫ぶ千石の、最後の方の言葉ははっきりと聞こえなかった。
あふれ出る涙を千石はごしごしと手の甲で拭う。
跡部は嗚咽を洩らす千石の手を引き寄せると、距離を縮めて、額を寄せた。
お互いの体温が溶けるように熱い。
そうして跡部は千石が待っていた言葉を何度もささやいた。
喉の奥が痛かった。
何も見えなかった。
世界には、跡部の言葉と、この幸せな痛みしかないように千石は思った。


「……さっきみたいに言いたいことは言えよ。してほしいこと、ちゃんと言えよ。俺は、こんなだから、なかなか言えねぇけど、でも、言うようにするから、無理して笑うなよ」
目を閉じていた千石は、跡部の詰まった声に気づきそっと目を開けた。
「……泣いてるの?」
「うるせ、」
少し咳き込んだ跡部を見て、千石はくしゃくしゃになった顔で笑った。
「……跡部くん俺、かっこ悪いよ〜……」
今度は跡部が笑う。
「バーカ! 最初から知ってんだよそんなの」
「えへへ……ほんとかっこわる……俺たちかっこ悪いね」
「バーカ」

お互いの温もりが手の中にあった。どうしてもっと早く手を伸ばさなかったのか。
それでも、今ようやく気づいたことが嬉しかった。

二人ともしばらくの間、そうやって涙のまじる声で笑い合っていた。





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This fanfiction is written by May.