俺に言いたいことがあるんだろ

あいつはいつも笑っている。俺のことを好きだといつも言いながら。
でも時折、寂しそうに、ためらうように、小さく笑うことがあるのを俺は知ってる。

何で言わないんだよ。
好きだって言うくせに、何でほかの事は言わねぇんだよ。飲み込んじまうんだよ。
してほしいことがあるなら言えよ。

好きって言うくせに。

世界でいちばん大切なひとのように、お前の言うことぐらい、何だって叶えようと思っているいつも。
それなのに、俺には言わないんだろ。
何で我慢してるんだよ。俺の前で。

不安になるんだ。
降り積もる言葉が、嘘なんじゃないかって。お前にとっては軽く言える言葉のひとつなのかと。


不安、なんだ。





二十億光年の孤独な恋を越え  2





何故付き合うことにしたのかと問われれば。

「好きやからやろ」
もうすでにジャージに着替え終えた忍足が、片手に持ったラケットで自分の肩を叩きながら当たり前のように言った。
跡部はため息をついてソファに身体を沈めた。
忍足をはじめ、レギュラーメンバーは各々それなりに、千石が来なくなったことに関して気にしているようだった。
今も、岳人とジローにどうして千石は来なくなったか、というようなことを忍足が説明している場面に、生徒会の集まりがあって遅れて部室へやってきた跡部が出くわして、なあと相槌をもとめられたところだった。
ここまでおおぴっらに聞かれるともう、跡部は怒る気も失せた。
勝手にしろと言わんばかりに吐き捨てる。
「お前に分かってたまるか」
「そんなことあらへんて。意外に第三者の方が見てわかることあるもんやて」
忍足は幾分か真面目な顔をして言った。
そんなもんかよ、と少し顔を逸らしながら、跡部は返す。
二人のやりとりを見つめていた岳人は、イマイチよく分からない、といった表情で口を挟んだ。
ジローはというと、さっきまでは忍足の話を聞いていたようだが、今は跡部の斜向かいのソファの上で夢の中だ。
「で結局さあ、どうして千石来ないわけ?」
頭の上で腕を組んで、片足をぶらぶらさせた岳人に、跡部と忍足は顔を見合わせた。
そして忍足はラケットで叩く真似をすると、
「俺があっんだけ説明したやろ! なんで分からへんかな岳人〜!」
「ええだってさー難しいよ、細かいことばっかり!」
「ざまあみろ」
二人の知らないところで跡部はぼそりと呟く。
頬を膨らませた岳人が、細かいことはよく分からないけどさ、と前置きして続けた。
「千石また遊びに来ればいいのに。俺あいつ嫌いじゃないよ」
途端、忍足が吹き出して、笑い出した。
「な、なんだよ侑士! 別に来なくってもいいんだけどさ!」
「いやいやそうやあらへんて」
涙を拭いながら、忍足は跡部のほうへ向き直った。
「なあ跡部、お前こうやって千石に素直にゆったらええよ。いつも本当のこと、言わずに隠してへんで、ゆったらええ」
「何を、言わないって」
苛ついた跡部が下から忍足を睨む。それでも忍足はいつもの飄々とした表情を変えない。
それが余計に跡部の機嫌を悪くさせるのを承知で。
「だから、俺らにも本当のこと、なかなか言ってくれへんやろ。泣き言とか、グチとかな。そういうことも含めて、本音とか、言ってないんやろ千石に。それを言ってまえ、っていうてんの」
「何でお前にそんなこと言われなきゃなんねぇんだ」
跡部がソファから立ち上がる。その拳は固く握られているように見えた。
一触即発なぴりぴりした雰囲気に、岳人はどうしていいのか分からないといったように忍足と跡部を交互に見つめた。
跡部がが忍足に近づく。忍足はやはり構えもしない。
掴みかかるか、と思われた瞬間、
「ふわぁあぁぁ〜」
と大きくを伸びをしてジローが起き上がった。
「おはよー」
「…………おはよーさん」
「…………おはようじゃねえ」
寝惚けなまこをこすりながら微笑むジローにあっけに取られて、二人はつい返事をしてしまった。
あのさあ、とあくびまじりにジローが話し始める。
「忍足はさ、本当のこと言ってもいいよって、言ってるんだよ。グチとか俺らに言えばいいのにってさ。言わなきゃ、俺だってどうすることも出来ないよ跡部。千石も、そうなんじゃない? 言ってほしいことがあって、跡部は、それを言わなきゃダメなんじゃないの」
言い終えるとジローはまた大きなあくびをして、あーまたねーむくなってきたーと身体を倒した。
黙って聞いていた忍足と跡部はしばらく突っ立ったままだったが、ふと目が合うと、跡部はそっぽを向き、座っていたソファの方へ戻って鞄を拾い上げた。
そして、ジローの顔を覗き込み、ジローと呼びかけたがもうまともな返事は返ってこない。
小さく舌打ちして額を小突いてやる。
今度ポッキーでも奢ってやるか。

「……おい忍足」
「んー?」
「今日は部活休むって監督に言っとけ」
すれ違いざまの跡部の言葉に、忍足はこっそりと笑った。
「あいあいさー」
「それから岳人!」
「何?」
「樺地を呼んで、ジローをコートに運ばせろ」
「おっけー分かった」
ぴょんと跳ねて、岳人は敬礼をとってみせた。
出て行こうする跡部を忍足が呼び止める。
「お礼に今度俺の悩み聞いてや」
「やなこった」
そうしてドアの向こうに消えていったその人は、もういつもの跡部だった。

「なあさっきのワザとだろ」
ドアが閉められたのを確認して、楽しそうに笑いながら岳人が忍足を肘でつつく。
忍足はふーと息を吐くと、
「まあ怒ってもうて少しでもスキッリすればええかなと思うたんやけどね」
一本取られたわ、そう言って、眠りについてしまった一番の功労者を二人は眺めた。




「南……」
「部長……」
「…………分かってる。何も言うな」
東方、室町、そして南の目の前にかれこれ30分、部室のパイプ椅子に座って机に肘をつき、ぼうっとしている千石がいた。
明らかに、心ここにあらず、といった感じだ。
今日も風が強い。
普段のにぎやかな山吹の部室なら、亜久津が壊した窓が揺れてガタガタと騒がしい音を立てても、
大して気にはならないが、今日の、正確には一週間前から様子が少し違った。
ムードメーカーでもある千石の雰囲気が部員に少なからず、伝わっているのだろう。
普段どおりの千石のときもあったが(それでも分かる人には無理をしているように見えたが)、
時折、あんなふうに意識を飛ばされると、部内はやはり静かになる。
三人は再び顔を見合わせると、
「あんな調子になってからもう一週間になりますね、千石さん」
「何かあったのかな」
東方がうーんと考え込むのを尻目に、残りの二人は額を寄せる。
「やっぱりあれが原因なんだろうなあ……」
「ですね。そもそも千石さんがこんな長い間我慢してるなんて、ありえない話ですよ」
「だよなあ。真面目になったかと思えば、こうだし。来ても身が入ってないんじゃあなあ」
「ケンカでもしたんですかね?」
「え、ケンカ? 我慢してるとかなんの話?」
南と室町は、数秒間東方をじっと見つめていたが、また何事もなかったかのように話し始めた。
「うーん、ケンカってわけじゃなさそうだよな。だったらもっと落ち込んでる気がする」
「ああ。それかもっと無理矢理に明るいフリとかですよね」
「そうそう」
「落ち込んでんの千石」
もう東方の発言は二人の耳にとまることはない。
「やっぱりあいつに我慢させるのはよくなかったか…… でも部活だって大事なんだけどなあ。はあ」
「でも、あれじゃあやってるうちに入りませんよ」
「だよなー」
「だから我慢ってなんの話だよ」
「つーか俺思ったんですけど」
「何室町くん」
「フツーこういうときって、相手が心配して見にきたり、会いにきたりしないんですかね?」
「相手ってケンカの?」
そこでしばし沈黙が訪れた。勿論東方の的外れな疑問に呆れたわけではなく。
「あー……」
「うーん……」

『あの人だもんな……』

二人で唸ったあげく、キレイにハモった。
「部長、ここはやっぱり……」
「そうだな。分かった、部活も大事だけどその前に元気になってもらわないとな、ウチのエースに」
「ですね」
「なんかよく分かんないけど、そりゃあ千石が元気な方がいいよな」
うんうんと分かったふうに頷く東方とともに、南と室町も頷く。
その頃千石はというと、いまだにこの三人が喋っている内容にも気づかず、
ぼうっと中空を見つめたままっだった。
ぐるぐると、考えごとと言えるような言えないような、そんなことを思い巡らす。
ああもう一週間経つんだなとか、こんなに長くて。でもよく思い出せない日々もなかったなとか、
今日もメール来なかった、こっちからしてみようか、今更?、うわーしにくいよホントとか、
いきなり押しかけて謝っちゃうなんてどうよ?、いやでもなんで俺謝るんだろう、とりあえず部活部活!とか、
とにかく今日はやめよ、また先延ばしになっちゃうなあ・・・とか、
ああもう一週間になるのか、というふうに、最初に戻る。そしてため息をつく。その繰り返しだ。
「千石」
「んあ?」
運良く、思考が途切れた瞬間に声をかけられた千石は気づいて振り返った。
「何南〜、ん、皆さんお揃いで」
へらりと笑って机に伸びる。南は改まってごほんとひとつ咳払いをした。
「千石、あー……、今日は部活出なくていいぞ」
「え、なんで? 普通に練習日だろ今日」
突然の話で、千石は起き上がった。
「いやあのそうなんだけど、お前最近元気ないだろ、それって……」
「そうかなあ」
「跡部のことが気がかりなんじゃないのか」
千石は目をぱちぱちさせ、室町が頷く横で、東方はあとべ?と首を傾げた。
「気になるんだろ。ここ一週間、お前ずっとそんな感じだしな」
「……そんな感じって?」
「ぼうっとしてて、いつもため息ついて、練習してても上の空、笑顔も空回りしてる。千石らしくないよ」
そう言われて、千石は顔を伏せると小さく、そっかーと呟いた。
「ホントらしくないよねー……」
うなだれたその姿に南は慌てて近寄ると、肩を叩いて明るい様子で言う。
「い、いや、なんていうか、我慢はよくないぞ! 部活出てくれるのは嬉しいけどさ、でも千石が元気じゃないと! みんな心配してるんだ」
「……うん」
そっか、俺元気ないんだ。
皆に分かってしまうくらいに。
跡部くんがいないと俺ダメなのかな。
そんなにも跡部くんに俺、会いたいのかな。

……跡部くんもそうだろうか。

そう考えると、ほんの少しだけ元気と勇気が湧いた。
俺の気持ちの十分の一でもいい。同じ、気持ちがあるのなら。

「よし!」
勢いよく千石は立ち上がった。ぱちんと自分の両頬を叩く。
「お、行く気になったか」
「とりあえず電話してみる」
「……そうか」

ほっぽってあった携帯を掴むと部室を出た。
番号をプッシュして、待つ。
その間、心臓の音がやけに耳についた。鋭く深く、息を吸い込む。

彼は出てくれるだろうか。





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This fanfiction is written by May.