叶わぬ恋の指先と
だらりと上から垂れる手に、そっと触れた。
交わった指先の温度はじんわりと温かみを持ち、やがて互いの肌に吸い付くようになる。
千石は、覚醒しきれない頭で顔の見えない手の主の方を見上げ、夢の端から引っ張り出した名前を微かな声で呼ぶ。
「……跡部くん」
起きてる?と、遠慮がちに続けてみた。たっぷり三十秒は大人しく待ったが、返事はない。
その間、跡部の手に指を絡ませたり、触れては時折離してみたり、小さな戯れを繰り返していたのだがそれに対しても何の反応もない。
まだ寝てるのだろうか。そう思いながら、まだ重く感じる身体を動かそうとすると、触れていた手がぴくりと跳ねた。
お、と千石は目を瞬き、様子を窺うようにもう一度名を呼んでみた。
返事のように、見上げるその方から鼻にかかった声のかけらと身動きする衣擦れの音がする。
「跡部くん?」
身体を横向きに倒し、跡部の中指を掴んでわずかに引っ張るようにすると、今度は確かな反応がある。
何だよ、と眠たげだがどこか偉そうな態度が滲むいつもの声がし、ついで跡部の顔が覗いた。
目が合った跡部の顔は眉根が少々寄り、唇も真一文字に結ばれていて、明らかに寝起きの顔だ。
いつもなら人の顔を見て笑うなと物が飛んできそうだが、千石がその不機嫌そうな駄々をこねる子どもに似た顔に小さく笑っても反応は鈍い。
目を伏せながら、んー、と吐息交じりの声を鼻から漏らして身体を小さく伸ばし、跡部は心地よさから片足を突っ込んだままの自分の精神を呼び戻そうとしているようだった。
そうして、ふ、と息吐いた後、覚めてきたらしい目をぱちぱちさせて、
「……つーか何でお前そんなとこいんの」
と不思議なものでも見るように、千石を見下ろして言った。
確かに千石と跡部の位置関係はおかしかった。跡部の家へ泊まりに来ている千石は、昨日跡部と一緒に同じベッドに入ったはずだ。
なのに何故、千石は床で目が覚めたのだろう。
「さあ、俺も、知りたい」
えへ、と笑って千石はベッドの上の跡部を見る。自分でベッドから降りた記憶も、一応追い出された覚えもなかった。
「跡部くんに落とされたりとか」
「それはない。だって、隣ぽっかり空いてたしな今」
お前が落ちてったんだよバーカ、と跡部はどこか気だるさの混じった優しい顔で笑った。
運がいいことに千石の身体に痛むところなどはない。ラグがあって良かったなと跡部が髪をゆったりとかきあげながら言う。
「がっつり頭でもぶつけられたら、お前の脳細胞がとんでもなく破壊されるところだった」
「あそれは困る。確かにこれ以上減ったら超困る」
あははと千石が笑うと、跡部が触れたままだった千石の手を指先で柔らかに撫でた。初夏の朝の、爽やかな気配の中をゆるやかな時間が漂う。
「……ねえ、これってなんだかさ、ロミオとジュリエットみたいじゃない?」
そう言って、横向きにした首をもう少し傾けるようにすると、ロミオとジュリエット?と跡部が繰り返した。
「バルコニーのシーンのことか」
「そうそう、こうやって高低差があるとこがそっくり?」
続けて、千石はあの有名な台詞を芝居がかったように口にしてみた。
跡部が呆れたような表情をして、高低差だけかよ、と呟く。
「いや、うん、それだけじゃないけどさ」
「何」
あくびをこぼすように、跡部は目を細めて千石を見下ろす。その目を見ながら、千石は跡部の長くたくましい
指に自分の指を絡ませる。
「禁断の、恋とか」
そっくりでしょう、と微笑んで言うと、跡部はちらりと目を大きくさせそのまま伏せた。
まもなく睫毛をかすかに震わせて瞼を開けると、きゅっと確かな力で千石の手を取って、ばかだなお前、と慰めるように言った。



fin.
イベントで配布したペーパーに書いたもの。
こういう、なんと説明したらいいのか分からないけど、隙間に落ちた寂しさとか声にならない切なさとか、そんなものが好きで書きたいなあと思ってしまいます。

2014.5.3
This fanfiction is written by chiaki.