はつこい
机を挟み、静かな時間を過ごしていた。
向かい側には珍しく千石が文庫本を傾けて言葉を追っている。
それをちらりと、綺麗な異国の筆記文字が流れる本から目を離して見やると、跡部は再び異世界へと想いを馳せたのだった。
緩やかに時間が流れた頃、さらさらと柔らかく鉛筆の走る音がして、跡部は顔を上げた。
先ほど手にしていた本のページを開き、千石が、手元の紙に何か書きつけている。
下を向いた睫毛が時折かすかに震えた。唇は柔らかく結ばれて微笑んでいる。
開いて机に押し付けたページの言葉を拾うことは出来なかったけれど、短い文章の並びに、詩か何かだろうかと跡部は思う。
ふいに、千石が目線を上げた。見つめていた跡部と目が合い、細かな音を立ていた手を休ませ、首を傾けて楽しそうに微笑む。
何をしてるんだと尋ねると、千石は唇を少し湿らせてますます楽しそうに笑い、ひみつ、とだけ言う。
そしてまた小さくて真っ白な、柔らかそうな紙に文字を綴り始めた。
ちらりと目を本に移しながら、一文字ずつ丁寧に鉛筆で書き込む。
本に添えられた手でうまくかくされてしまって、鉛筆を持つ手元はよく見えなかった。
何か面白いことでも見つけたのだろう。
跡部はそう思い、席を立った。
やがて金糸で綴られた題字、白い象牙のような表紙の本を手にして跡部は戻った。
そこに、千石の姿はなかった。
空いた向かい側の席には、本も、書きつけていた紙片も、鉛筆もない。
どこへ行ったのか、跡部は辺りをゆっくりと見やりながら、ふと机に触れた。
指先に、置いたままだった自分の読みさしの本があたり、視線を落とす。
その本に、鉛筆の走った跡がわずかに見て取れる紙が挟まっていた。
千石のものだ。
跡部はすぐに紙片をするりと抜き取ってみた。
柔らかい紙の手触りを左手で確かめるようにして、右手で文字をひとつ、なぞってみる。
短い詩がそこには書き写されていた。

なんだこの眼は 何十年も見た眼だぞ
昨日も今日も問ひ答へしたあの眼だぞ
向ふもじっと見てゐるぞ
“清純”なたましひたヾそのもの

せいじゅんなたましいただそのもの。
跡部は心の中でひとつ、そしてもうひとつは声に出して呟いた。
きっと千石はこれをことさら丁寧に心を込めてかいたのだろうと、くくられた部分を見て思う。
“清純”という部分に触れて跡部は微笑した。

いとおしみ柔らかに言葉を綴ったように、俺に、触れたらいい。

きっとまだ自分を見つめているだろうその恋に、跡部は眼を閉じ、まっすぐなたましいを向けた。
かたり、と椅子の引く音が跡部の耳に届く。
眼を開ける前から、すでに分かっていた。この恋が出会うなら、たったひとりだった。

ふたつの清純なたましいが、向かい合い、ひたむきなひとつの恋に落ちた。



fin.
宮沢賢治『新編 宮沢賢治詩集』(新潮社文庫)を拾い読みしていて、恋の詩を偶然目にして思いついたので書いてみました。元の詩は以下です。

ある恋

なんだこの眼は 何十年も見た眼だぞ
昨日も今日も問ひ答へしたあの眼だぞ
向ふもじっと見てゐるぞ
清楚なたましひたヾそのもの

(補遺詩篇より)

清楚、という部分を見て、もし千石がこの詩を読んだなら、「あ、ここ俺の名前に置き換えても結構いいんじゃない?」って、自分の本のその部分にかりりと名前を書き加えてしまんじゃないかなあって、なんというか、中学生が教科書に落書きしたりして、おっうまくできたぞ、って得意になるようなそんないたずらっぽさが書いてみたかったのでした。
実際なら、千石はそんなことを嬉しそうにやって、ねえねえ跡部くん見てみて!って見せるんじゃないかな。
そうして跡部は、自分はそんなことしないし、思いつきもしないから、呆れて笑いながらも、こいつちょっとすげえなって思うんです。
こんな小さなこと見つけて、ちょこっと自分で考えてすっごく楽しいものにして、それを嬉しそうに抱えて持ってくる。それで周りの奴とかも楽しい気分にさせて、なんていうかこいつ天才じゃないだろうかって、跡部はふと本気で思う気がします。
ちょっとした夢の世界、みたいな雰囲気で書いてみました。こういうのも、面白くて好きです。また機会があれば。

2005.7.13
This fanfiction is written by chiaki.