過ぎゆくもの
よし。
口の中で洩らす呟きでさえ、無意識に手順化されたもののひとつだ。
左手で握るレバーをきっかり止め、右手の下のボタンのひとつを押す。
視線は常に下。
まるで宙で踏ん張るような自分の足の間から見える、どこから見ても四角形のコンテナを見下ろし、フックに吊るされたそれをレーラーの荷台に下ろしていく。
手元は見ない。左手はいつもレバーを握った瞬間からその一部として意識するようになっているし、パネルに添えている右手は、自分が動くべきその範囲をすでに熟知している。1センチほど動かせば、そんなことを思わずとも、頭が操作を決定すれば迷わずに右手はボタンを選ぶ。
長い間やっている仕事だ。そんなことは朝飯前だった。よっぽど風の強い日でなければ仕事を覚えているこの手に任せておく心持ちでまったく問題はない。
わずかにゆたりと揺れながらコンテナが荷台に収まった。
がちり、と音がして、下にいた作業員が点検をする。彼らが大きな声を上げこちらを見上げたのを確認し、千石は息を洩らした。
それは、最後のコンテナを積み終わったときの手順のひとつだった。



「千石、おい千石ってば待てって!」
クレーンを降りてからずっと遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえていた。
もちろんその声に聞き覚えはある。むしろありすぎるというくらいで、このゲート管理者のものだということに千石はとっくに気づいていた。
それだからわざといつものように、歩きながらジャンパーに腕を通し、ジーンズの尻ポケットに突っ込んでいた財布を撫で、すれ違った知り合いに手を上げて挨拶を交わして、気づかないふりをしていたのだ。
しかし、その声と駆け寄ってくる足音が、多くの作業員と小型のリフトにトレーラーが行き交う騒がしい中でも判別できるくらいに近くまで来たために、千石はようやくやり過ごすのを諦め、
「ん? あ、何だ桑原くんじゃん! お疲れ〜」
と、くるりと振り返り、手を広げてみせわざとらしくオーバーリアクションをとってみせた。
足は休めず、そのまま後ろ向きで歩き続ける。
声の主は、やはり予想していたとおりだった。
白のヘルメットをかぶり、管理会社の紺色のウインドブレーカーを着込んだ桑原が、やっと捕まえたぞというように息を吐く。止まる気はない千石にとっくに気づいていたようで、手にしていた伝票のようなものを示しながら早速話を切り出した。
「千石今日はこれで上がりだよな。後4時間頼む。急ぎなんだ」
仕事がたまっちまっててさ、と苦い顔をして千石についてくる。
話の内容は声を聞いた時点で千石には予測がついていた。
桑原は善い奴だ。
千石の仕事は出来高給なのだが、ピンチの仕事を請け負ったときや、予定よりもかなり仕事が早く終えられたときなど、たまに管理者である桑原はおまけしてくれることがあった。
融通が利き、仲間思いであるから、そんな桑原の頼みは聞いてやりたいところだったが今日は約束があるのだ。
千石は左手の腕時計をにちらりと目をやり、困ったように笑った。
「いや〜今日は俺もう6時間勤務しちゃったからさ、そうだ、丸井くんがいるじゃん。
確か今日非番でしょ」
ぽんと手を叩き、うんうんと頷く。しかし桑原は引き下がらなかった。
「だから、急ぎなんだ。1時間で40個も降ろせるのはお前しかいないだろ」
確かにそうだ。
千石は心の中でちょっとだけ笑った。自分の腕の良さは皆から買われている。おごるわけではないけれど、仕事の素早さと正確さは誰にも負けない自信がある。
「っと、ごめん」
作業員をかわしきれず、千石が身を捩じらせながら謝った。
先ほどから後ろ向きで歩いているが、千石は巧く人や重機をかわしている。その器用さが生かされているのだろうか、そんなことをふと桑原は考えながら、
「頼むって。またちゃんと多くつけとくからさ」
この通り!と、てのひらを合わせて頼み込む。
その様子に千石は気の毒になるが約束をすっぽかすわけにもいかなかったし、何より今規定の労働時間以上に働くのは避けたい。
頭を片手でぽんぽんと叩いたり、手持ち無沙汰のようにやたらジャンパーやジーンズのポケットを上から叩いてみる。
「あ〜うーん、でも最近組合がうるさいからさ、ほんとごめん。出来ないや」
ちょっとね目付けられてるから、と千石は苦笑いした。
先週千石はちょうどその時間外労働について組合から怒られていたのだった。時間があるときのピンチヒッターはお金になるし、千石にとってはいい機会なのだがああも口をすっぱくして言われると2回目の説教は勘弁してもらいたかった。
しかも前科があるだけに、今回見つかればどんな大目玉が待っているか。
当分大人しくしてよう。
そう決めたこともあって、千石は桑原の呼びとめをやり過ごそうと思っていたのだ。
そこをなんとかさ、とまだ粘る桑原に、千石はおっいよいよやばいぞと先ほどの腕時計の指し示していた時間を思い返し、
「ごめんほっんとうに無理! ごめんね! じゃあ時間ないからさ!」
と軽やかに身を翻し、自分の横を通過していく小型リフトをギリギリのところで避け、横切っていくトラクターの前を駆けて雑然とした港の場に飲み込まれていった。あっという間に千石は桑原から大分離れていた。
「あっ、おい千石!」
引きとめようとして伸ばした手は人の流れと重機に遮られる。
桑原は、まだ見失っていなかった、すでに背中を向けていた千石に一際大きく声を放った。
「くっそ千石! オンボロ車に乗ってるお前なんか、そのうち絶対フラれるぞ!」
やけくそ半分、からかい半分のその言葉に、時折小走りに歩いていた千石が振り返る。やはり足を止めずに後ろ向きで歩きながら千石は、手にしていた紙の束を振り上げて笑う桑原を見、吹き出すように顔を崩した。
「あっは! 残念でした! この間ピンチで呼んでもらったときの給料で近々新車を買う予定なんです〜!」
いえーいとVサインを決める千石に、桑原は口を大きく開けて笑うとシュッシュとパンチを繰り出す仕種をしてみせた。千石は、それに後ろに大きく仰け反るようにし、眉を寄せ口を歪め大げさに喰らうマネをする。
そうして、上体を起こして顔を戻すと、頬を引き上げて本当に可笑しそうに笑い大きく片手を上げて挨拶を送った。そのままくるりと背中を向け、やがて手を下ろしたのが合図だったかのように、跳ねるようにして一歩踏み出し駆けていってしまった。
自分も手を上げて応えた桑原も手を下ろし、その後姿を少しの間見つめていたが、コンテナを積んだトレーラーが通り過ぎ、千石を隠してしまうと、肩で1回大きく息をついて元来た方へ引き返していった。
過ぎ去ったトレーラーの向こうには、もう雑然とした港のいつもの風景があるだけで、千石の姿はもうなかった。



fin.
昨年の7月頃日記に載せた、映画『宇宙戦争』の冒頭のパロディSSSでした。千石の待ち合わせの相手は跡部です。せんべです。
映画のこのシーンがものすごく好きで、とにかく“黙々と働いて生きている”のが良かった。人と物が忙しく通過していくあの港の雑然とした雰囲気がとても好き。
羽田へ行くときの高速バスから港が見えるんです。
港の端から端まで、巨大な赤と白のクレーンが整列したキリンのように並び、コンテナが積み上げられている。クレーンの前にはこれまた大きな、まるで宇宙船みたいなタンカーが停まっている。遠くてバスからはそこで働く人の姿が見えないのだけれど、羽田へ行くときはいつもその光景を眺めます。すごく好きな風景。
どんな様子なんだろうって思ってたんです。映画の中の港はとにかく忙しなくて小型のリフトが縦横無尽に走り回り、その間を縫うように人が巧く歩きときに駆け回り、皆トラックが来れば適当によけて通してやる。きっと仕事を終えて港湾を出た後はどこでどう暮らしているのか、お互いの素性みたいなことはまったく知らなかったりして、人と物がすれ違っていく交差点のようなあの場の雰囲気にとてもしっくりくる気がする。
人が生きてる場所なんだなって、すごく観てて楽しかった!
機会がありましたら観てみて下さいな〜
This fanfiction is written by chiaki.