Dearest
「ひらりひらーりとまーいあそーぶよーにすーがたみーせたあーげはちょお」

恋だけに生きている俺たちじゃない。
でも、ふとしたときにね、こう思い切っていろんなものが取っ払えるってすごいなって思うんです。
俺の好きなもの、順番をつけるのは難しいけど、跡部くん、テニス、家族、南とか友達、学校、占い、CD聴くこと、ゲーム、他にもたくさんある。特に、どれかに一番をつけるのは難しい。
でもね、それがたまに、こうひょいっといとも簡単に上に来るのが、君、なんです。

「いってきまーす」

ウチは放任主義でもないけど、近くのコンビニに行くくらいならかなり遅い時間でも文句は言われない。
奥から届く返事を少し待って、玄関でとんとんと、つま先を小突く。
今回は長袖のパーカーを着込んだ。夜の流れる風は結構冷たかったから。
さて、行こうかなっと。

「……よーろこびーとしてのイエーロ、うーれいをーおびたブルウに、よのはてににているーしっこくのは、」

ね?

ご機嫌に歌を口ずさみながら玄関のドアを開けた千石の目に飛び込んできたのは、中から伸びる白い影に眩しそうな顔をした、跡部だった。
何てことはない普段着で自分と同じように長袖の上着を着込み、門の前に立っている跡部を見て、千石は一瞬声の出し方を忘れてしまった。

跡部くん?!

心の中で叫ぶとドアから手を離し、千石は家の中から飛び出すようにして駆け寄った。
温かい光の中に浮かぶ跡部の姿が消える前に、門を開け、勢いよく飛びつく。
「う、わっ」
抱きつかれた跡部がその衝撃と重みに一歩よろめいた。
倒れそうになったところをどうにか持ちこたえると、跡部は、お前な、と安堵と呆れの入り混じったため息をもらした。
千石は、跡部の首に手を回して、唇で頬に触れると、
「……どうして、君が来ちゃうかな」
と出来るだけ嬉しさを抑えようとして、結局上ずってしまった声でささやいた。
跡部の誕生日の、最初と最後におめでとうと言うのは自分がいいと、そう言ったのは千石で、誕生日の最後の瞬間に会いにいくと約束したのも、千石だ。
それなのに肝心の跡部がこうして来ている。
ほんのちょっとだけ悔しさがあったけれど、会いに来てくれたという現実がもたらす、愛しさの方がはるかに勝った。
「お誕生日、おめでと」
千石が改めて告げると、跡部は、ん、と嬉しそうな声をもらしたのちに、千石の身体を離させた。
「これから出るところだったのか」
ちらりと腕時計を覗きこんで千石は頷く。
「50分には跡部くんちに着く予定だったからね」
なのに跡部くん来ちゃうんだもん、とおどけてふくれっ面を作って見せると、跡部は、あーと言って頭をかいた。
悪い、と少し情けなさそうに一言謝る。
「待ってるって言った手前、約束破るような真似は嫌だって思ったんだけどよ。今日、な、いつもは別に目につくものでもねえのに、パトカーとか、見たら、やっぱり落ち着かなくて」
心配になった。
そう言って跡部は目を伏せる。そうして瞼を持ち上げると千石を見つめて、少し口の端を上げ、
「だから、俺が来た」
とあでやかに笑った。
その笑顔に込められた温かい感情に千石はどうしようもなくなって、また跡部を抱きしめた。
今度は、ゆっくりと優しく。梳くように、跡部の柔らかい髪をなでる。
「ありがとう、おめでとう、ありがとー」
「お前、どっちかにしろよ」
息を洩らして、跡部が面白そうに笑った。
あっと気づいたように、千石が声を上げる。何だよ、と千石の肩にのせていた顎を跡部はわずかに動かした。
ウチはさこの間も平気だったし、こういうの大丈夫だけど、と千石は早口で言うと、
「・・・跡部くんは大丈夫? 家の人には」
「言ってねえよ」
短く、遮るように跡部は答えた。抜け出してきた、と続ける。
言ったら止められるだけだし、今頃大騒ぎかな、でも電源切ってるから、と携帯の入っているらしいポケットを軽く叩いた。
そうして跡部が黙ったので、深刻な顔でもしているのだろうか、と千石が身体をよじって跡部の方を見ると、喉を震わせて跡部は小さく笑っていた。
「大騒ぎだろうな。息子が夜中にいなくなるなんてよ」
皮肉っぽく独り言のように呟く跡部に、千石は、もう、と跡部の見えないところで一瞬不安な顔をし、跡部の背中に手を回した。
「・・・・・・そういうの、ダメだよ。皆、心配してるよ」
叱るという気はまったくなかった。怒る気もなかった。
ただ、ちょっとだけ跡部が無理をしているように見えて、心配になったのだ。
千石の言葉に、跡部は笑いを引っ込めると、
「・・・うん、分かってる。後で、連絡は入れる」
と、素直に頷いた。
うん、それがいいよと、千石も二回ほど頷いて笑った。
「ねー9日のことなんだけどさ、」
「ああ」
「泊まっていい?」
「……」
跡部が沈黙する。
「えっだめ? 何か用事ある? 日曜日」
身体を離して、跡部の肩を掴んで正面から見つめると、跡部は瞬きをし、
「や、そうじゃなくて」
と視線を外して笑うと、

「お前のことだから最初から、泊まるものだと思ってた」

と言った。
千石は、まあるく見開いた目で、薄暗い夜空の下でも分かるほどに耳や頬を赤くした跡部を捉えると、両手を伸ばしてその頬を包み込み、そっと伏せられた瞼にふたつ、キスを落とした。
ついばむようにして、ちゅっと小さく水音が鳴る。
えへへと千石が笑う。
「うん、そう、最初っから泊まる気でした! うんそうです、跡部くんあったり!」
ぎゅうっと跡部を抱きしめる。は、と小さく跡部の息を詰まらせる呼吸音が聞こえた。そして、そのまま笑い声に変わる。
「荷物は、必要最低限にしろよ」
「うん、楽しめるようにいろいろ持ってくからね」
「……お前、人の話聞いてないだろ」
いやいやそんなこと、と千石がけたけた笑った。
しばらくそうやって話をしていると、ふいに跡部が自分の背中に回された千石の左手を剥がし、袖をめくった。
「ん、何?」
「時間」
そう呟くと跡部は、千石の腕時計に目を落とし、もうこんな時間かと言った。
千石も額を寄せるようにして文字盤を確認すると、時計は千石が跡部邸に着いていたはずの時間、12時10分前をさしていた。
「ほんとだ。もう、跡部くんの日も終わり、か」
「そうだな」
跡部は返事を寄越すと、帰る、と名残惜しそうに千石の身体を押しやった。
「どうやって、帰るの?」
手の中の温もりを逃して、手持ち無沙汰になった千石が思い出したように尋ねた。
そういえば跡部くんはどうやって来たのだろう、とそんなことも思った。電車、だろうか。でも今の時間、ここからでは終電には間に合わない。
跡部は、携帯を取り出してメールを打っていた。多分、石岡あたりにでも今から帰ることをメールしているのだろう。
ごく簡単に済ませたようで、すぐに折りたたみ、また電源を切ってポケットに押し込んだ。
小さくため息をついて、顔を上げる。
「アン? どうやってって、タクシーで」
しっかり千石の質問は聞いていたらしい。そこの大通りで拾う、と坂の下の方を指差して答えた。
そっか、と千石は、ふと後ろを振り返って開け放したままだった門を閉めた。きいっと静かな夜の住宅街に高く響く。
「何してるんだよお前」
「え、見送りにそこまで」
「ばか」
跡部は、ほんの少し眉を寄せると、とん、と軽く千石の肩のあたりを押した。
「来なくていい。ここまでで、十分だ。明日学校だろフツーに」
もう寝ろ、とそこで跡部は柔らかな表情になった。
自分を心配して来てくれたこと、自分の身体のことを考えてくれてること、自分のことを、こんなにも想ってくれていること、それを思うと一瞬千石の足が止まった。
「じゃあな」
千石が足を止めたのを認めて、跡部は片手を上げると背を向け坂を下り始めた。
宵闇に染まる背中が少しずつ遠くなっていく。
足が、動いた。

「跡部くん」

少し大きな声で呼ぶ。跡部はすぐに振り返った。首だけだったのを、二、三歩動いて千石に向き直る。
跡部は何も答えなかった。返事をするのに迷っているのだろうと千石は思った。
それなら。

「お誕生日、おめでとーございました! 来年も、来年は、一緒にいようね!」

両手をめいっぱい広げて千石は叫ぶと、今度は肩に水平に両手を伸ばして、飛行機みたいに坂を下っていった。
一直線、跡部を目掛けて飛ぶ。
一直線、跡部への想いを抱えて、飛んでいく。

跡部は無邪気な千石の顔を見て、ポケットに両手を突っ込んだまま身体を少し曲げ、綺麗な白い歯を零して笑った。
夜に映える、白い星のような輝きがきらきら舞う。

最愛のひとの、それが、答えだった。



fin.
「Dear」の続きものとして、「Dear」を書いている最中に考えたものでした。
本当は、10月4日になったばっかりのときか、10月4日が終わる間際の夜にアップする予定がこんな・・・!作中より3日遅れですが、心は4日に引き戻して読んで頂けますと幸いです。うーむ、「Dear」と一緒にして1冊でお届けしたかった。(悔)
最近、子供らしい行動もとれる千石とか跡部が好きだったりします。
「子供」であることの定義はいろいろと難しいですが、「Dear」で最後にちょろっと書いているのですが、あ、この冒頭でも千石が言ってますね、ああweb拍手SSSのとこにも書いたな(笑)、刃のような思い切りのよさと、影を縫われたように硬直する臆病さが、描けたらいいなと。
千石と跡部が、中学生というときに出会い、時を過ごしていくことに、改めて感謝。
跡部、お誕生日おめでとうでした!

2004.10.7
This fanfiction is written by chiaki.