我儘な恋、至るは清廉の心
「ああもうついてくるんじゃねえっての!」
「いーじゃん〜 だって特に何か目的があるわけじゃないんでしょ?」
なら俺がついていっても!と明るく言う、その性格と同じくらいバカ明るいオレンジの髪の人物を振り返る。
斜めに視線を滑らせるように、ぎらりと睨んでやる。
大概のヤツはこのひと睨みで黙り込む、

はずなのに。

「何?」
いつもと変わらず嬉しそうにニコニコ笑いやがる。
その理由を以前問うたなら、

「恋ですから」

と、いつものとは少し違った笑顔でにこやかに答えた。
よくその横っ面を叩かなかったのものだと、俺は今でも、思う。



確かにこれといった目的はなかった。
待ち合わせの相手がいるわけでもなく、欲しいものがあるわけでもなく、ただ一人でぶらっと学校の帰り道に駅前をうろつこうと思っただけで、
そうだ、
けしてこんな奴に校門でつかまって、そのままひょこひょこと後をついてこられて、いつのまにか駅前へ出ていて、いつのまにか、

「どうしてお前が目の前にいるんだよ! アーン!?」

ファーストフード店に入ってコーヒーを頼み、席についてほっと一息ついたのも束の間、俺はテーブルを揺らして、効かないと分かってはいたが、向かいの席に腰を下ろした相手を怒鳴りつけられずにはいられなかった。
同じテーブルにコーラとポテト、アップルパイを乗せたトレイを置いて、当たり前のように存在するそいつ、千石清純は一口分コーラをストローで吸い上げると、
「何故って跡部くんがそこに座ったから」
と、へらっと笑った。
やっぱり睨みは効かなかった。なんだか一気に気が抜けて、頭に手をやり、俺は座り直した。
コーヒーのふたを取って、口をつける。
熱くて、それなりに香ばしい苦味が喉を通り過ぎるのが分かった。
これみよがしに盛大なため息をついてやって、千石を見やる。
「・・・お前どこまでついてくる気だ」
「地の果てまで」
つまんだポテトをろくに咀嚼せずに飲み込んで千石は答えた。
「・・・・・・どうして」
「そりゃ君が好」
「いや言うな。それ以上言うんじゃねえ。分かった。分かってるんだ。いいか、絶対に言うな。言うんじゃねえ」
続けようとした千石の言葉をはっきりと、けれど低く押し殺した声でかき消す。
最初に俺が一度大きめの声を出したことで、少なからず店内で目立っているのが、ひしひしと周りからの視線で分かったからだ。
これ以上目立つのはごめんだ。
そもそも、その理由は一度聞いてるんだった、そう気づいて、さっきとは大分意味の違うため息をついてうなだれる。
千石は今度はアップルパイをかじりながら首をかしげ、
「そ? 分かってるならいいよ」
と、俺の苦労など微塵も分かってないふうに笑った。
腹いせにポテトを何本か奪って口に放り込む。
あ、食べる?と千石は怒ることなくトレイごと勧めてきた。

・・・・・・こいつを怒らせる、もしくは、こいつに嫌われる方法は何かないのか。

訝しげに俺がじっと見つめても、千石は笑いかけるばかりで、本当に、本当の本当に気が抜けた。
ああ、もう疲れることはやめよう、と心に決める。
ちょっとやそっとのことじゃへこたれないんだろう。その性格にもはや尊敬の念すら抱く。
むしろ俺ばっかりが一人相撲じゃないか、とバカらしくなってコーヒーを啜った。
大分気分が落ち着いて、息をはく。
「これ、一応、お詫びだから」
黙り込んだ俺に、千石は少し困ったような笑顔でポテトの箱をつついて言った。
「何の」
「うん、一応ね無理矢理ついてきたって自覚はあるからさ。そのお詫び」
ま引き下がりはしないけどね、と付け加えてアップルパイの残りを口に入れた。
「あ、ポテトなんかいらねえから帰れってのは聞けない頼みなのでよろしく」
「……」
少しよぎった考えはすぐに却下された。
「だってもうポテト食べたでしょー? ……まさか、今食べたの吐き出すから帰れとか言っちゃう?!  そこまで俺のこと嫌い?! ひどいよ……!」
「何も言ってねえだろうが!」
泣きまねしてテーブルに突っ伏したオレンジ頭をぽかっと殴ってやると、痛いと言いつつも、笑顔を覘かせた。
「変な奴」
騒がしいといえば騒がしいけれど、賑やかで一緒にいて退屈はしなかった。その人懐っこさ故に突き放しづらい。
表情を崩して、ちょっと笑ってやる。
すると、千石はさっと起き上がって、いつものとは違う、嬉しそうな微笑みで応えた。
誰にでも振りまくようなのではない、本当のはこれなのかと知って、なんとなく、奴の「理由」が分かったような気がした。



ありがとうございましたーという明るい店員の声を背後に、千石はぴょんと勢いつけて外へ出た。
そして俺を振り返り、
「さって、どこへ参りましょうか」
と手を広げて楽しそうに言った。
結果に予測はついていても、一応ため息をついてみる。
「まだついてくるのかよ・・・」
「勿論」
胸を張って何やら自慢げな奴を無視して、左に曲がって駅の方へ歩き始める。
待って、と慌てた声がし、すぐに千石は俺に追いついて横に並んだ。
視線を、くれてやる。
「……俺は書店に寄る」
「えっと、駅ビルの紀伊国屋?」
「ああ」
「おっけー! あそこの本屋おっきいよね。この辺で一番品揃えいいっしょ。俺も参考書買うときはそこに行くよいっつも」
「お前勉強するのかよ」
「ま失礼ね〜 しますよー! 教科書ガイド写すくらいには」
「写すだけか」
よくこいつ部活続けてられるな、そう思って笑った。
「おっ、と、」
千石が身をよじって、割り込んできた人をかわす。
駅前は人通りが多い。
陽が落ちてきた空の下、駅のロータリーにはバスやタクシー、迎えの乗用車が多く並んでいて、
皆帰宅する時間なのだということが分かる。
バス亭にはスーツ姿の会社員や、よく見知った自分の学校の制服、たまに見かける程度の学校の生徒なんかが、長い列を作っていた。
改札口に吸い込まれ、また吐き出されていく人々も、同じような種類が多かった。
その雑多なうねりの中を、俺と千石はつかず離れず、正確には千石が俺から離れまいという意志を持って、うまくすり抜けていく。
切符売り場を通り過ぎて、駅ビルに踏み入れ、その喧騒が自動ドア一枚の向こうに追いやられると、少し落ち着いた。
「すごい人だね〜」
大きく息をはいて、千石はエレベーターに駆け寄り、ボタンを押した。赤のランプが点る。
表示を見上げると、ゆっくりと黄色のランプが点滅しながら、1階の方へ下がってきている。
「氷帝の皆とは来たりするの?」
ちらっと千石が俺を見やる。
「たまにな」
「ふーん。何しに?」
「本見に」
「そうか、そうだね」
納得して一人頷きながら笑う。
高く、小さな鐘のなるような音がして、エレベーターのドアが開いた。
中には誰もおらず、俺たちの他に乗るヤツもいなかった。
乗り込むと千石が迷うことなく3階のボタンを押す。
そういえば、こいつ来たことあるんだったか、そんなことを思って奥に寄りかかって千石の背中を眺めた。
「じゃあさ、」
振り返らず千石が口を開いた。

「他の奴とここに来たことある?」

そして、俺を振り返る。
思わず、間抜けな声が出そうになったが、こいつには尋ねる「理由」があることに気づいて、言いかけた口を閉じ、また開いた。
「ねえよ」
「ホント?」
「ああ。……あ」
記憶の片隅に埋もれていた人物の顔とここの書店の風景が組み合わさって、思い出す。
「えっ何」
「……ここで、出くわしたことなら、あるな」
「誰に?」
「…………手塚」
ぴしっと上まで留められた学ラン姿のあいつ。なんとなく、口に出すのが躊躇われた。
千石が、手塚くん、と反芻したと同時にまた軽い音がして、エレベーターが止まった。さあっと、ドアが開く。
ドアを押さえて千石は俺を見、目で促した。俺が下りた一歩後に千石も手を離して下りる。
「言っとくが、待ち合わせしたんでも何でもないからな」
「ん?」
少し揺れた瞳を見据えて、言ってやる。
「出くわした、って言っただろ。
それに、お前と同じだよ」
「……同じ」
「参考書。この辺で一番品揃えいいって、自分で言ってたじゃねえか」
「ああ! それでわざわざここまで青学の手塚くんが来たってわけか〜」
「お前が言うより、百倍納得がいくだろ」
「だね、って、うーま〜そうか……」
反論が見つからず、千石は腕を組んでそのまま固まった。
その頭を軽く小突いて、歩き始める。
「ったく、気になるって顔してんじゃねえよバーカ」
「え、あ、メンゴメンゴ」
雑貨屋の横を通り抜けると、そこはもう書店の入り口で雑誌コーナーが目に入った。
迷うことなくそこもすり抜けて、奥の文庫コーナーへ足を運ぶ。
千石も俺の後をついてきた。
海外小説の棚の前に立つ。
気に入った洋書の翻訳があれば買おうか、そんなことを考えて、一冊棚から引き抜く。
ぱらぱらと読み流していると、文庫のタイトルをざっと横で眺めていた千石が頭をかいた。
「跡部くん」
「ああ?」
「俺、あっちのCDショップ見てくるね。
ここらへんにいる、よね?」
「さあな」
「ええ〜ひどいよ〜」
「……適当に見てるから、ゆっくり見てこいよ。
目的があってきたわけじゃねえしな」
「やた、サンキュー」
この階の隅に、それほど大きい店ではないがCDショップがあった。
確かにこいつには、文庫コーナーよりそっちの方がおあつらえ向きだろう。
ちょっと行ってくるね、と残して千石が消えた。
また、視線を本に落とす。
今手にしているのはサン=テグジュペリの『人間の土地』だ。
最後の一文が好きで、俺はページを捲った。

「……跡部か?」

心臓がひとつ、鳴る。
聞き覚えのある、低めの声に呼ばれて顔を上げた。
学ランをきちんと着込み、細いフレームの眼鏡をかけた、
以前ここで会ったときとあまり変わらない出で立ちでそいつがいた。

「手塚、」

思わず本を閉じる。
「以前会ったときもここだったな」
そう言って手塚は俺の隣に来ると棚へ手を伸ばした。
自分より少し背の高い奴を見上げる。
「今日は、何しに来たんだよ」
「近くに来たんでな。ちょっと立ち寄ってみた」
「ふうん」
本に視線をやっている手塚の横で、なんとなく落ち着かなくなって、手にしていた本を戻そうと棚へ差し込む。
「その本、」
「あ?」
手塚がちらっとこちらを向いたのに気づき、仕舞いかけた文庫を戻して表紙をなぜた。
「え、ああ、原本を読んだことがあってよ、翻訳のはどんなもんかと思って」
「そうか。俺は最後の一文が好きでな」
一瞬どきりとする。
「読んだことあるのか? 俺も、最後が気に入ってる」
嬉しくなって頬を緩ませた。
手塚の表情も自分と同じようなもので、それもなんだか嬉しい。
「俺が読んだのはその翻訳版だけどな。
ちょっといいか」
そう言って、手塚は俺に手を差し出した。
本を求めているのだと、少しして気づき渡してやった。
低い熱が指に触れる。冷たい手なんだな、とふと思った。指先に、灯りがともったような温かさが訪れる。
「俺はこの箇所も良いと思うんだが」
パラパラと本を繰って、やがて止めると、開いたまま俺の方へ指し示した。
自然と額を寄せる形となる。
文章を目で追い、原文と置き換える。
笑いが漏れたのが自分でも分かった。
「何だ」
「いや、悪い。そうじゃなくてよ、」
怪訝な顔をした手塚に手を上げて謝る。
「俺も、ここ気に入ってんだ」
ここまでてめえと趣味が合うなんてな、と可笑しくて少し笑った。
手塚がふっと息を吐く。
「そうだったのか」
あ。
ふと目線を上げると、すぐ近くにそれはあった。
手塚の、伏せがちな目、そこに落ちる睫毛の影、遠慮がちに持ち上げられた口角。
こういう顔で笑うのか。
じわりと、心臓を中心に染み渡る温かい感情があった。
「ん、もうこんな時間か」
腕時計を覗き込んだ手塚が呟く。
自分もつられて時間を確認した。五時半を示していた。
青学の方からやってきている手塚なら、ここから自宅に着くのに一時間はかかるだろう。
「跡部はまだ帰らないのか?」
本を閉じ、棚へ戻しながら手塚が俺を見る。
ふと視線を宙にやり、待ってると一応約束したヤツがいたことを思い出した。
「あー……俺はもうちょっと見てから帰る」
「分かった」
手塚は持っていた通学カバンを持ち直した。

一緒に、帰ってしまってもいいか、なんて感情が沸き起こる。

どうして、なんて考えるほどの理由を見つからなかった。
理由が、ないのに。
けれど言いかけた言葉は、手塚の、では先に失礼する、という丁寧な挨拶で遮られて言えなかった。
「ああ、じゃあな」
代わりの、挨拶を告げる。
向けられた背中に何回か目をやって、なんとなく、平積みされた本に手を伸ばした。

振り返らねえか。

その学ラン姿が棚の向こうに見えなくなるか、というそのとき、ふと手塚が足を止めて、こちらを振り返った。
目が合う。
不覚にも、心臓が二つ分、早く鳴った。
本に触れた指先がまた熱をもつ。
「言い遅れたが」
「……何だよ」
「俺は原本を読んだことはないが、その翻訳版はお薦めだ。
機会があったら読んでみろ」
それじゃあな、と残して、今度こそ手塚は棚の向こうへ消えた。
……律儀なやつ。
俯いて口元を手で隠し、小さく笑う。
手塚が仕舞った文庫の背表紙を人差し指で辿って、引き出す。
もともと気に入っている作品だし、最後の訳もなかなか悪くなかった。
お薦め、か。
文庫を片手に、俺はレジに向かった。



「おまたせ〜!」
大きく手を振って、千石がやって来た。カバーをかけてもらった文庫を受け取って、そちらへ向き直る。
「もういいの?」
「ああ。じゃあ行くぞ」
来たときを同じように、雑誌コーナーを過ぎて雑貨屋の前を通る。
すると、さっと前へ千石が回り込んだ。
手を俺の目の前にやったかと思うと、そのまま頬へ指を滑らせる。
ほんのりと熱かった。
「なんか顔少し赤いよ? 大丈夫?」
千石の心配した表情を見て、一瞬当惑する。
熱い?
「何にもねえよ」
千石の手から逃れて、その横を抜ける。
理由なんか見当たらなかった。

理由、なんか。

ふと、足を止める。自分の指先を唇に持っていった。
「どうしたの?」
急に足を止めた俺を、本当に具合が悪いのかと思ったのだろう。
声をかけて駆け寄ってきて、俺の背中に手を置いた。

背中が、ろうそくが灯ったように温かくなった。

「……お前平熱高い方か」
「へ? いやそうでもないと思うけど、何で? もしかして熱っぽいの跡部くん」
焦ったように言った千石に、俺は違う、と呟いて、覗き込んできた奴から顔を逸らして俯いた。
何でもない、己に言い聞かせるようにもう一度強く、言う。

灯ったような背中の温かみに、こいつは本当に恋をしているのだと、
それと同時に、今は冷えた、自分の指先の温度に気づく。

自分もこんな熱を帯びていたのだろうか。
今更ながらに、手が少し震えた。心臓が揺れる。目の辺りがぼうっとする。
……あいつはどうだったんだろう。
人の熱の感触で、こんなことを考えるのは、どうかしている。
ましてや、それを他人に重ねるなんて。
なんて浅ましい。
たまらなく自分が嫌になった。
それでも、
この心臓を高鳴らせるのも、頭の芯が痺れるのも、この心が動くのも、
やはり奴だけだと解るのは、

どうして。

理由は、ない。
もし、あるとすれば。

「どうしたの?」
ちらりと見上げる。不安そうに様子を伺う千石の顔が目に入った。
何でもねえよ。
それでもまだ、そうやって呟く自分はずるい。

この恋に、泣けるだけの潔さがあれば、良かったのに。



fin.
広告の裏にメモった数行からは、「あーこれは千石にしても跡部にしても辛い恋の話だな」って思ったんですけど、書き終えたらなんか、そう、でもない、ような、気がす、るかな、と。
頂いたお題が新鮮で、楽しく書かせて頂きました。
だって千石が片想い。 跡部に適当にあしらわれているのはいつものこととしても(え)、ちょっと謙虚さがありますね、態度に。それと、少し臆病。やっぱり、いつだって自信満々な千石くんじゃないんだなあ。かわいいなー。
手塚、初めて書いたんですけど、へへ、緊張しました。一応この話の中では、奴に好きな人はいません。そういえば、跡部の一人称も初めて書いたな!
恋は、我儘だと思う。自分勝手、身勝手、突き詰めれば、すべては自分の想いのために動いてるのが、恋。
だから、「清廉」な心とはほど遠い、と思うんですけどね、でも、このひとが好きだという想いはどこまでも清く、まっすぐだといい。
900Hit、藍川そらこさんのリクでした〜 ありがとうございました!

2004.4.8
This fanfiction is written by chiaki.