「好きです」
チューリップの花を差し出して、とっておきの真面目な顔で告白する。
3月15日の暖かい午後。ちらほら咲き始めた、三分咲きの桜並木の下にて。
ふわりと舞い上がる薄桃の花びら。
柔らかい風のせいか、一瞬時が止まって見える。空気が、留まる。
やがて、じっと突き出された花を見つめていた俺の意中の人は、無言で踵を返して歩き出した。
傷心に浸るヒマも、ずっこける間もなく、
振り返ってもくれない、それでもいとおしいその背中を、俺は急いで追いかける。
「ええ!? 感想何もなし!? ちょっとやってみたかっただけなのに! ・・・いや本気だけど。
ていうか待って! 少しくらい何か反応してくれてもいいじゃん! 寂しいひとじゃんか俺〜」
跡部くん!
そう名前を読んだところで、やっと想い人は振り返ってくれた。
春の季節にだって俺は似合うと思っている、雪のようなふんわりとした微笑みで。
「使い回しなんか受け取るかよばーか」
追いついた千石に、跡部は楽しそうに視線をやった。この陽気のせいか、とても機嫌が良さそうだ。
じゃあじゃあ、と跡部の顔を覗きこんだ千石は、
「大輪の薔薇の花束で告白したら受け取ってくれる?」
と期待に満ちた目で跡部を見上げた。
跡部は間髪いれずに答える。
「花だけな」
「俺の気持ちは捨て置きですか」
「花に罪はないからな、受け取ってやるよ花だけは」
「そんなに花を強調しなくても・・・」
しくしくと千石が泣きまねをする。けれど何か思いついたのか、すぐに立ち直って自信満々というような笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、黒薔薇をそのうちプレゼントするから、絶対に受け取ってね!」
「黒薔薇?」
「そ。花言葉知ってる?」
「・・・いや」
「ふっふっふ、聞いて驚け、『あなたは私のもの』だよ! って痛!」
軽い通学カバンで頭を叩かれた。
ふと、カバンを持つ跡部の手に目をやると、自分と同じチューリップの花があった。
「やっぱりどこの学校もチューリップなのかな」
跡部は自分の手の中の花束に視線を落として、頷いた。
「春の花だしな。そういえばお前のとこの証書は筒のなんだな」
「え、ああうん」
カバンに収めることが出来ず、飛び出している抹茶色のような筒を指で弾いて千石は答えた。
「ていうか、跡部くんとこは違うの?」
「俺のとこは冊子みたいな、折りたためるやつだった」
ほら、とカバンから取り出して千石に渡す。
それは赤い布張りの装丁で、開くと、証書が貼り付けてあった。
「うわ、なんかかっこいいね。さっすがお金持ちって感じ」
そう言いながら『跡部景吾』と書かれた名前を指でそっとなぞり、目を細めた。
「良い名前」
「は?」
予想していなかった話の展開だったのだろう、跡部は間の抜けた声を出した。
はい、と証書を返して、千石が笑う。
「だから跡部景吾って良い名前だなって。
なんか、ピンと一本の線が張ってるような、しなやかな強さがあるよね」
かっこいいなあっていつも思うんだよ、そう付け加えてチューリップの花束を顔に寄せた。
幸せで胸がいっぱいになる、春の香りがする。
跡部は、変な奴、と呟いて目を伏せ声に表して小さく笑った。
すっと息を吸い込んで桜を見上げる。まだ枝の茶色が目立つ。それが見えなくなるほど満開に咲くのはまだ、だろう。
「卒業、か。いまいちしっくりこないな」
「あーまあね〜 中高一貫だから、ね。
謝恩会とかないし、そもそも学校変わんないし」
「卒業式も特に俺たち自体が、緊張感ないしな」
「そうそう、だって皆そのまんま上がりだもんね」
ひらりと、目の前で揺れた花弁を千石は優しく捕らえた。
開くと、あっという間に風にさらわれてピンクのそれは消えてしまった。
目で追うことも出来ず、風の過ぎ去る方向を見つめて、千石が口を開く。
「跡部景吾、」
不意に足を止めた千石に、跡部は振り返り、向き合った。
「何だ」
「好きです」
「好きです、好きだよ、好き、好きです、
好きだ、
すきです、いつも絶えずいつでも毎日そしてこれからもずっと」
花束こそ差し出さなかったけれど、先程と同じくらい、真面目な顔で千石ははっきりと告げた。
手を伸ばせばお互いが届くその間を、包み込むような風と花びら、そして沈黙が流れていく。
軽く唇を噛んで、しばし千石を見つめていた跡部がすっと手を伸ばして千石の頬に触れた。
その感触に千石は自ら頬をすり寄せる。人の体温がじんわりと心地いい。
「どうしたんだよ」
「無性に言葉にしてみたくなるときってない?」
「……お前がたまに言うから、俺は、な」
「ずるいなあ」
「別に言葉に出さなくても、」
そこまで言ってその先に続ける言葉はひとつしかないことに気づき、跡部は詰まった。
しかし意を決して、頬にやった指を滑らせて離すと、
「好きだ」
と言い、今日はこれだけで勘弁しろ、と呟いて口元を手の甲で覆った。
へへ、と千石が心の底から幸せそうに笑うと、跡部がしたようにその頬に指で触れ、首筋を過ぎ、肩を滑り、腕へ落とす。
そして額を肩口に預けた。
息を呑んだ跡部は、千石の耳元でささやくように尋ねた。
「不安なのか」
「そんなんじゃないよ。ただ、」
窒息しそうなくらい、幸せでいっぱいなんだ。
それは、実際には言葉にせず、心の中でそっと呟くにとどめた。
笑いをもらすと、跡部が何だよ気持ち悪いな、と呆れたようだった。
「お前、熱でもあるんじゃねえか?」
「いえいえ正気ですって」
千石の肩に、髪に、幾枚かの花びらが積もる。空気のように自然に、その場所へ在った。
そのひとつを摘み上げて、跡部は微笑む。風が吹き上げたと同時に解放すると、その花弁は流れにのって紛れ、あっという間に見えなくなった。
「千石清純、」
柔和な口調で言い含めるように、ゆっくりと跡部は言った。
「俺は、お前の名前を見ると夏を思い出す。晴朗な夏の日、雲のない抜けるように青い空とか、陽の下のすべてが輝いているような眩しい世界とか、そんなことを思う。……早く、夏が来るといいな」
ぽろっと洩らしたような跡部の言葉に、千石はのんびりとまるで独り言のように話し始めた。
「跡部くん夏、好きー?」
「まあな。テニスやってて一番楽しい季節だからな」
「うん、だね」
「今年の夏は軽井沢でテニスでもするか」
「……俺と?」
「他に誰がいるんだよ」
顔を上げた千石に、怪訝な表情で跡部が言う。
白い歯を見せるように笑った千石は、跡部の腕に添えていた右手をさっと移動して、左手に指を絡ませた。
「お手を拝借!」
丁寧に優しく、けれど誰にも渡すまいと握り締めるように手を繋いで、並木道を導く。
白桃色の花びらがアスファルトを華やかに彩る。太陽がその白を反射して春の日に相応しい。
跡部は、ちょっと吹き出すように笑って、最初は千石に引かれるままになっていたが、やがて隣に並んだ。
「来週の日曜日、暇か」
「うん。大丈夫だけど」
「一応卒業祝いって銘打って、忍足とかと集まるんだ。お前も来るか?」
「行く行く!」
そうして一息置くと、首を傾けて千石は跡部の顔を見やった。
「跡部くん、やっぱり俺は君が好きです」
口元をほころばせて、知ってるからあとは今度に取っとけ、と跡部が言った。
跡部の言葉を受けて千石も笑う。
こんなにも、君が愛しい。
当たり前のように自然に、言葉の端々に「好き」を込める君。
まるで桜の花びらのように降り積もるその言の葉を、恋焦がれて何回だって繰り返したかった。
途切れることない、この愛を。
fin.