雨滑り落ちる背中越しの天使
待ち合わせは氷帝の校門前。
今日は千石も跡部も部活が休みだ。
山吹はいつも通りの休みだったが、氷帝はコート整備ということで出来た休みで、
「一応ミーティングがあるからお前がこっちに来い」
というメールが届いて、千石は喜んで駆けつけたのだった。
「なんか嫌っな天気〜」
レンガ造りの、アーチまでついている風格のある校門の柱によっかかりながら、千石は灰色の空を見上げる。
まだ三時半過ぎだというのに、もう空が暗い。遠くの方で低く唸るような音がするのは、もしかして雷だろうか。
天気予報は晴れだったんだけどなあ。傘なんて持ってきてないよ。
そんなことを考えている間に、ぞろぞろと一団が校門を出て行く。
その中に忍足や向日、鳳に、ジローを引きずる宍戸の姿を見つけて千石は声をかけた。
「おーい、こんちは!」
「なんや千石やん」
「何しにきたんだよ」
「あ、こんにちは。千石さん」
「重! 起きろってジロー! ああ?なんだ千石じゃんか」
にぎやかだなあ、と思いつつ、その一団に跡部の姿がないのに気づく。
千石が尋ねるより先に、寝惚けまなこのジローが口を開いた。
「ふああ・・・あとべならまだ部室だよー……ぐー」
「コラおい起きろ! 中途半端に起きてまた寝てんじゃねえ!」
がくがくと宍戸はジローの襟首を揺さぶるが、起きる気配はない。
「宍戸さんそんなに揺らしちゃあかわいそうですよ〜」
俺が運びますって、と鳳が申し出るが宍戸はそれをよしとしない。後輩に押し付けるなんてもっての外、なのだろう。
「……公園にでも放置していくか」
「だめですよ宍戸さん! 不法投棄じゃないんだから」
忍足がそんな二人を尻目に、
「ま多分もうちょおで来よるで。監督と話しとるんやわ。その上鍵当番やし」
最後にでてくるやろ、と千石に教えてくれた。
黙りこくって、千石の上から下をまじまじと眺めていた向日が呟いた。
「……お前のその白ラン、ホント目立つな」
「はは。やっぱり?」
改めて言われて、千石は少し笑った。
先ほどから氷帝の生徒たちが通り過ぎていくたびに、自分を(正確には自分の制服をだが)見ている気はしていたが。
そうか、やっぱり目立つのか。
「この間もさあ、目立つから一緒に歩くんじゃねぇとか言われちゃってさー」
「それって……」
「でも結局一緒に帰ったんだけどね」
「なんやのろけかい」
忍足と向日が呆れて背を向けてしまうと、ええこっからが本題なのにーと千石は二人の腕を掴んだがそれもそっけなく振り払われた。
「だからもう少しで来るっていってるだろ! 跡部に聞いてもらえっつーの」
「いやそんな話本人にしても」
「なら勝手に二人でいちゃいちゃし」
「言われなくても〜」
自慢げにえへへと笑う千石に二人は盛大にため息をついて、
まだジローに怒鳴り続けている宍戸とそれを宥めている鳳に声をかけて歩き始めた。
「ええー本当に帰っちゃうのー」
「あったり前や。いいからおとなしゅうそこで待っとき」
「へへーんだ。じゃあな!」
「失礼します。あ、宍戸さん手伝いますって」
「悪いな、長太郎。そんじゃあな千石」
そうして千石は一人になってしまった。
足元を蹴りつつ俯いていると、忍足たちが帰っていった方向から、千石ーと大きな声がし、顔を上げた。
「雨降らねえうちに仲良く帰れよー」
向日がからかうように笑って、飛び跳ねた。おっけーと手振って返す。
また、空を見上げた。相も変わらず灰色の雲が立ち込めている。
頬にぽつりと落ちるものがあった。
「……もう遅いかも」

「遅くなって悪かったな」

「うわあ!」
校舎を背に立っていた千石は、背後からの声に飛び上がった。
そして声の主が待ちわびた大切なひとのだと分かると、跡部くーんと抱きつこうとしたが、頭を押さえつけられてあえなく断念した。
「ひどい……! ていうか痛、痛い。もう抱きつこうとしないので離して下さい〜!」
「分かれば良し」
跡部が手を離した。久しぶり〜、と千石が笑顔で言うと、跡部も少し口元をほころばせて頷いた。
「で。何が、もう遅いかも、だって」
「え? いや跡部くんのことじゃないよ。ほら、」
千石はとん、と跡部の肩を指す。紺のブレザーにぽつと雨の跡があった。袖にも何箇所かある。
「降ってきたみたいだね」
「お前傘持ってねぇのかよ」
「生憎」
「役に立たねぇな」
「ひど! だって今日天気予報で降らないって言うからさ。文句は、外れても倒産しない気象庁に言ってよ。ていうか跡部くんこそ持ってないの?」
「俺は傘を持つのが嫌いだ」
「……そうですか」
そんなやりとりをしている間にも、雨がぽつぽつと色を沈めていく。
「とりあえず、どこ行こうか」
「そうだな…… ああ俺買いたい本あるんだ」
「じゃあ駅前まで出ようか、ってうわー降ってきた!」
突然雨足が強くなった。バケツをひっくり返したかのような雨に、千石は慌ててカバンを頭にかざす。
とっさに、走る?と目で聞いた千石の手を跡部は引っつかんで、
「来い」
と短く告げて、校門をくぐり走り出した。



「うわあすっごい雨!」
駆け込んだ氷帝の部室の窓から、ざあざあと降りしきる雨の勢いに千石は声を上げる。
振り返ると跡部は椅子にカバンを放り投げたところだった。
「ていうか俺、おじゃましちゃっていいの?」
「ずぶ濡れになりたきゃ帰れ」
「……おじゃまします」
もうずぶ濡れなんだけどね、と呟いて、制服の端を摘まむ。
オレンジ頭は幾分か色が沈んで見え、はねていた今毛先は落ち着いてしまっている。
白ランもべったりと濡れていて、下に着ているTシャツのラインが見える。
派手なのじゃなくて良かった、千石はそう思った。
一方、跡部も千石と大して変わらない姿だ。うざったそうに前髪をかきあげ、ネクタイに手をかける。
茶の髪からは水が滴っていて、手触りのよさそうなワイシャツはぴったりと肌に吸い付いてしまっていた。
「(水もしたたるいい男っていうのは跡部君のことだね)」
一人納得して、ネクタイも放り投げた跡部を千石は眺めていた。
すると跡部がコーヒーメーカー前に立って用意をし始めた。勝手が分かるのは自分だけだからだろう。
ここは大人しくしてよう。
跡部くんが淹れたコーヒーが飲める、そう考えつつ、その背中が見える席に座った。

跡部くんの背中が好きだ。

跡部の背中は自分のより少し大きい。
でも抱きしめたら意外に細くて、かわいい、そう思いつつ、骨ばっているのも、それすらも「らしく」て嬉しかったのを覚えている。勿論今もそうだ。
小さい頃から教え込まれた作法やピアノをしていることもあるだろうけど、何より、真っ直ぐで強い、その性格が、いつもピンとしている背筋に表れていると思う。
肩から首筋のラインがきれいだなあ。
ワイシャツがはりついて、肩甲骨の形が浮かび上がっている。それも、きれい。
「……なんか跡部くんの背中ってせくしー」
無意識に出た呟きに、跡部は手を止めて振り返った。
「慣れねぇ横文字使ってんじゃねぇよ」
そう言って耳を少し赤くして、戸惑った目で睨んで、また背中を向ける。
あのね、そういう顔も犯罪的ですよ跡部くん。
机につっぷしてにやにやすると、やがて起き上がって自分のバッグをあさり、目的のものを引っ張り出した。
コーヒーメーカーのスイッチを入れる音がし、跡部が振り向こうとするそのときに、千石はその背後からタオルをかけてやる。
「そのままだといけないっしょ」
「お前が欲情するからな」
「いやもう十分堪能し……いてっ」
跡部の肘鉄が千石の横っ腹に決まった。
冗談なのに!と痛みをこらえる千石を放って、コーヒーメーカーのすぐ前の席に腰かける。
肩にかけられたタオルをしばしじっと見つめ、匂いを嗅ぐ仕種をすると、
「これ、昨日使ったやつじゃないだろうな」
「失敬な。使ってないから安心してよ」
柔軟剤入りだよ、ボールドだよ、と立ち直った千石は続けたが、跡部にはなんのことだか分からなかった。
そのあとなお、手を大きく広げながら、ぼ・お・る・ど!とやってみせた千石だったが、これはうるさかったので、跡部はとりあえす蹴りを入れた。
振り返ると、コーヒーメーカーから蒸気が立ち、コーヒー豆の香ばしい、いい匂いがしてくる。
ふと、横でちぇっと拗ねて座り込んでいる千石の、ぶらぶらさせている制服の袖から時折水だ滴っているのが見えた。
「……お前もふかねぇと風邪引くぞ」
ほら、と自分の肩からタオルを滑らせ、千石に差し出す。
「え? いいっていいって。俺下にも着てるし。うーん、じゃとりあえず上、絞っておこうかな」
コーヒーメーカーが鳴った。
跡部は少し得心のいかない様子だったが、それでもタオルをかけ直すと、満足そうに千石は笑い、跡部はコーヒーを淹れに立った。
千石も出入り口のほうへ向かう。
跡部が紙コップをふたつ取り、コポコポと注いでいると、ドアの開く音がした。
天から叩きつける激しい雨音、ひんやりとした外気が入ってくる。
「お前ミルクは」
「一個ー。あ、砂糖はねー三個ー」
邪道だ、そう思いつつも、ジローや向日が使うスットクから取り出した。
うわーびしょびしょ、その声に跡部は千石のいる方を振り返る。
濡れた白ランは水分を含んでより重く、まとわりついていて、ようやっと、千石は脱ぎ終えたところだった。
白ランをぎゅっとひねって絞る。すごーと搾り出される水の量を見て千石が呟く。
そして、ばっと大きく音を立てて広げると、何回か畳んで手のひらで叩いた。

意外にこいつの背中、大きいんだな。

跡部は千石の後姿を眺めていて、そんなことを思った。
確かJr.選抜合宿のときはもっと全体的に細っこかったよな。
肩のあたりなんかしっかりしてる。ちゃんと筋トレしてんじゃねーの。
大したことでもなく、むしろとっくに分かっていることだったけれど、自分の好きなひとはテニスが大好きなんだというような、当たり前になっていた幸せに気づいて、どうしようもなく、幸せだった。
少し前かがみになっているその背中を、再び見やる。
うすい水色のTシャツから浮き出ている肩甲骨のライン。
天使がいるならば、きれいな白い羽根があるのだろう。
「これでよーし!」
振り返った千石と目が合う。
ん、何?と首をかしげた千石に、別に、と焦って返した跡部は、淹れたコーヒーを机に並べる。
「ありがとう」
と千石は言い、ミルクと砂糖を全部入れてかき混ぜた。跡部もコーヒーに口をつける。
すると千石が一言、跡部を見上げて微笑んだ。

「欲情した?」

その後、跡部が真っ赤になってむせ返り、大激怒したのは言うまでもなく。
千石は怒られながらも嬉しそうだった。



fin.
背中が好きです。いやそんなマニアというほどではないんですけど(笑) 水泳選手の背中とか、つい肩甲骨に目が・・・・・・
それと、なんというか、気になるんです後姿。基本的に私の、「人」の認識方法が後姿なので。後姿見て、あーあのひとだーって思うことも多い。お、あそこにいるは中田さん、みたいなね。
そういえばこれ、「目標一日一せんべ!」のひとつでした。でも直すのにも一日かかっている・・・・・・
肩甲骨は、昔人類が持ってた羽根の跡とか。やっぱり太陽を目指したイカロスと同じように愚かだから奪われてしまったのだろうか。

2004.4.28
This fanfiction is written by chiaki.