「『ゴースト』見ようよ!」
珍しく玄関まで出迎えてくれた跡部に、出会い頭そう告げる。
跡部は「ゴーストバスターズ」のことかと思ったらしく、なんでそんなもん今更、というような顔をしたけど、千石はいーからいーから!と既に借りてきてあったビデオ片手に跡部邸に上がりこんだ。
「いやーいつ来ても広いね」
ピカピカのフローリング、高そうなオーディオ類にアンティークものの家具、それらがゆったりと配置してある。
まるで、テレビで見る豪華スイートルームみたいだと千石はいつも思う。
事実、ホテルの一室のように、洗面所や浴室、冷蔵庫なども備え付けてあった。
ここから出て行かなくてもいいみたいな部屋。
そうも思ったけれど、それはいつも飲み込んで言わない。
きっと反抗期なのだ、そう反抗期・・・・・・反抗期? 跡部くんが反抗期?!
ぷは、と吹き出す。
「何ひとりで楽しそうにしてんだてめぇ」
「いて」
頭をはたかれたがそれでも楽しそうに笑う。
「いやいや何でもないよ。知ってた? 思い出し笑いする人ってスケベなんだって〜」
「それじゃあ間違いなく、お前はその分類に入るな」
「もちろん跡部くん限定だから、安心してねいたっ」
今度は容赦なくその長い足で脛を蹴られた。これは痛いよ跡部くん。
「ばか言ってねぇで、何か飲み物でも出せ」
跡部が呆れながら、千石の手からビデオを奪う。そしてソファと大きな液晶テレビのあるスペースへさっさと移動してしまった。
今日の跡部のいでたちは、茶色のパンツに紺碧の長袖シャツ一枚。
手足が長いから、シンプルな服装が似合うんだよね。
やあかっこいいなあと惚れ惚れしていると、ビデオをセットし終えた跡部と目が合う。
ぎろりと迫力のある、青みがかった双眸に睨まれて、千石は無駄口を叩くことなく、冷蔵庫へ向かった。
「えーとミネラルウォータでいー?」
「ああ。それと箱が入ってるだろ小さいシルバーの」
「このドットのやつ? チョコレートかな」
「それ食っていいぜ」
「ほんと? ラッキー」
ペットボトル二本と、小さいチョコレートの箱を持って、千石はソファに座った。
本当は、ぴったり隣に座りたいのだけれど、映画を観ていたりするときに話しかけたり、髪を撫でたり、邪魔されることを跡部は嫌うので、大人しく千石は一人分空けた隣に座った。
ま、この隙間は徐々に埋めていくことにして。
跡部は千石の持ってきたペットボトルに口をつけると、リモコンの再生ボタンを押した。
古い映画のCMが流れ出す。
CM中ならばまだ喋っても大丈夫。
「そういえば、何で今日出迎えてくれたの?」
「お前が急に来ると心臓に悪いからだ」
「ええー驚かそうと思ってるだけなのにー」
「それが心臓に悪いって言ってんだよ。いつもこっそり部屋に来やがって」
「だって鍵もらったし」
「やっぱ返せ」
「聞こえなーい。これ、開けていい?」
ローテーブルに放っておかれたシルバーの箱を開けると、そこには生クリームのように絞り出されたチョコの上に、これまたテディベアの形をしたチョコが座っている、可愛らしい四種類のチョコレートが納まっていた。
「かわいー」
千石が感嘆の声を上げると、跡部もその箱の中身を覗き込んだ。
「クマ?」
「テディベアって言ってよ跡部くん。可愛くないよそのクマって」
「なんだよクマはクマだ」
そう言って、ひとつ摘まむとぽいと口に入れた。千石もひとつ摘まむ。
「あとは全部やるよ」
「こんな可愛いやつ、どうしたの」
「遅くなったバレンタインチョコだとよ」
え、と千石は勢い余って立ち上がる。
「受け取ったの!? だって今年はもう誰からも貰わないって言ったじゃんー! 跡部くんのうそつきー!!」
「ばっか! ちげぇよ! 母親だよ母親!俺の!」
「……跡部くんの、お母さん?」
目を瞬く千石に、跡部はため息をついて座れよ、と促す。
「今日の朝に貰ったんだよ。ここのところ、ほとんど顔あわせることがなかったからな。買ったはいいけど、渡すヒマがなかったってよ」
「なんだ〜! 早く言ってよもう。俺嫉妬に狂うところだったよ」
「勝手に狂ってろ」
少し跡部は口元を緩めた。千石はそっとほんのわずかばかり間を詰める。
「なんだゴーストって、これか」
視線をテレビに戻した跡部が呟く。千石もテレビを見ると、もうCMが終わって、
『ゴースト〜ニューヨークの幻〜』と題名が映し出されたところだった。
「跡部くん見たことある?」
「いや」
「そっか。良かった。これいい話なんだよ。期待していいよ」
「ふうん」
そう呟いて、跡部がもう映画に見入ってしまうと、千石はその色の白い滑やかな横顔を眺めて、幸せそうに笑った。
「……なんつーか、肝心なときに死じまいそうなのは、お前だよな」
本編が始まって30分。
ふと跡部がじいっと画面を見つめながら、至極真面目に言った。
映画を観ながら口聞くなんて珍しいな、そんなことを思いながらも、千石は返す。
「え!? 何俺ラッキー千石なのに一応」
ひどいよ、そう言いつつ、今一度よく考えてみる。
確かに、俺の方が土壇場に弱い、かも。
跡部くんはピンチに強そうだしなあ……というか実際に強いし。
「……うーん、やっぱり俺か」
なんだか納得してしまった。
へらっと千石が笑うと、
「納得してんじゃねえよ」
とすかさず跡部がこちらを睨んでツッコミを入れた。
……いやーなんていうかさ。
「はは、なんかあれだよ、俺跡部くんが死ぬとこなんて想像できない」
「なんだそれ」
跡部は眉間にしわを寄せた。おざなりになっていたビデオをピッと切る。
そして、表情を和らげると、確かに俺は死にそうにないけどなと言って、少し笑った。
「違うよ」
いつになく真剣な顔で、千石は跡部の方に向き直って言った。
「俺、跡部くんが死ぬなんてこと考えたら、それだけで泣いちゃうよ」
戸惑いながらも、千石を見つめ返していた跡部は、あっけに取られたというように二三度瞬きし、やがて顔を真っ赤にさせると、手近にあったクッションを思い切り投げつけた。
それも立て続けに三個も。
「何言ってんだ! だから死なねぇて言ってんだろバーカ! ……お前こそ死ぬなよ! 一応ラッキー千石なんだろ!このばか!」
「はいはい」
千石がなんだかんだで楽しそうに笑っているのが気に喰わなかったのか、照れ隠しで最後にもうひとつ、大きなクッションが飛んできた。これで四個目。
ブツブツ言いながら、跡部は気持ちが治まったのか、またビデオを再生させた。
千石は、クッションを拾い集めソファに戻すついでに、一気に距離を詰め、跡部の真横に席を移した。
跡部は何も言わなかった。
少し肩がはねたけれど、ちらりと俺の方を見、唇を動かすとまたテレビに見入った。
俺がこっそりと微笑んだのを君は知っている?
謝らなくてもいいのに。あんなの全然痛くないし、跡部くん本気じゃなかったろ。
君の顔に理由なんか全部出てたよ。逆に嬉しかったよ俺、すごく。
でもちゃんと謝る、君のそんなとこも好きなんだ。
大丈夫。君の気持ち分かってるよ。
そう想いを込めて、千石は跡部の首に抱きついた。髪を梳く。
……うん。大丈夫。
例えこのあと、俺の腹に肘鉄が決まったとしても。
大丈夫、……かな。
おまけ。
跡部が疲れた目をこすっていると、「いい話だよね〜」と、千石が伸びをしながら言い、そして恥ずかしげもなく、
「俺も死んだら会いに行くからね」
と跡部に微笑んでみせた。
その、笑顔に、跡部はいつだって困る。
どうしてお前はそんなふうに言えるのだろう。
死んだら、なんて。
いなくなるようなこと、言うな。置いていかれるのは嫌だ。取り残されるのは、寂しい。
でも、何よりも嬉しい、そう思うのは、不謹慎だろうか。
「ばーか、死んじまったらしょうがないだろ」
胸が、いろんな思いで詰まって、そう言うのが精一杯だった。
「うん、そうだね」
千石は大して気に留めたふうでもなく、また笑った。
それでも跡部はまた呟く。
「死ぬんじゃねえよ」
死ぬんじゃねえよ、そう小さく、何度も。
たったひとつの願いのように。
fin.