頼むから黙って、ただ愛させてくれ。
ああ、何かがおかしいなとは、彼が部屋へ入ってきたときから分かっていた。俯いた顔は誕生日だという今日の主役には到底似合わない。どうしたの、と千石が立ち上がると、どこか思いつめた様子の跡部はただ首を横に振るだけだった。
自分が跡部の家を訪れた後で跡部は一度部屋を出て行った。その前から千石の頭に嫌な予感はすでによぎっていて、よく考えてみれば今日は跡部家にとって大事な日であり、今まで親戚を交えたパーティに招かれたことなど一度だってなかったのに、ましてや二十歳を迎えた特別な日に招いてもらうなどと、それがそもそも出来すぎた罠のような話だったのだ。
沈黙が過ぎ去ってゆくだけの部屋に小さなノックが響いた。かちゃりとノブを回す音がし、俺もよく知った顔の跡部家の執事が姿を覗かせた。
「景吾様、そろそろパーティーが始まりますのでご準備を」
千石様はと続けようとして跡部が強い調子でそれを遮った。分かってる、と吐き出すように言って跡部は執事を下がらせた。
控えめな音をさせてドアが閉まり、また居心地の悪い沈黙が訪れた。
きちんとしたスーツに身を包んでいる跡部と違って千石は普段着とさほど変わらない格好だった。パーティーに招かれたなどとは思っていなかったし、たとえ招かれたとしても身分不相応なのをよく知っているから千石は断ったに違いなかっただろう。
「俺、帰るよ」
沈黙を破るのは自分自身しかいなかった。まだ迷子のように立ち尽くして顔もあげない跡部に笑いかけて、千石はその横を通り過ぎようとした。その途端、肩と腕のあたりに引きちぎられそうなほどの力を感じる間もなく、ぐわんと身体が振り回されて、だん、と背中を壁に押し付けられた。訳の分からなさに思わずつむった目を弾かれるように開けると歪んだ跡部の顔が飛び込み、思わず千石は目を見開いた。
なんで、そんな。
言い終える前に、跡部は千石の肩を掴んだままだった左腕を振り上げて千石の口を塞いだ。
「もう、言うな」
低く、限りなく低く呟いて、苦痛に歪んだような表情のまま千石に顔を寄せ、塞いでいる自分の手の甲に噛み付き、間髪いれず手を外して千石の肩を再びちぎるかのように掴み、食いちぎるようなキスをした。
呼吸する間も惜しむように唇を重ねては食む。千石が息を継ごうとすれば跡部の唇がそれをすぐさま追って塞いだ。互いの浅い息遣いと、唾液の鳴る音だけが千石の意識をかき混ぜていく。窒息気味の状態に息が上がって体温がじんわりと上昇し顔に汗が浮かびつつあるのが説明しがたい心地悪さで気づく。
なぜと、跡部にぶつけたかった。でもこの嵐が千石のすべての問いを拒むものだと気づいたら、どうにも出来なかった。抗うのをやめて唇を素直に跡部に差し出すと、気づいた跡部がゆっくりと唇を離した。
顔を合わせて今一度黙した。
何か言いたそうな頼りない口元と悲痛に暮れた瞳の奥、悔しさのにじんだ目尻のしわを千石は見て取る。そんな千石の直視に耐えられなくなったように、跡部が逃れて千石の首筋に顔をうめた。
出会った頃からあった身長差は時が経っても、結局ほとんど変わらなかった。今でも跡部は千石とキスをするときに少し首をすくめるようにする。
ほんとうにかわらない。
そう思って、千石はこみ上げてきそうになる想いを拳の中で握りつぶして口元を跡部の肩口に押し付け縋った。
何かがおかしいと部屋へ入ってきたときから知っていたのだ本当に。
跡部は誰にも聞こえないように言ったつもりかもしれなかった。けれど二人きりでそんな呟きを拾わないほど、千石だって間が抜けてはいない。

どうして誰も、お前をただ黙って愛させてくれないんだ。

その問いに答えられる言葉を持っていなかった時点で結局は何も出来るはずはなかったのだけれど、なぜだと、千石はそれでも叫びたかった。
跡部が千石の首筋に唇を這わせぞわりと舌で舐めあげ、乱暴に食んだ。ないてくれればいいのにと千石は自分を侵す熱源をすぐそばで感じながら思った。泣いてくれたなら、自分は慰めることも、一緒に泣くこともできたのに。こんなふうに戸惑うことなく、なす術なく立ち尽くすことなく、ぎゅっと抱きしめて跡部の望むままにしたのに。
ひとかけらの弱さでもあらわにしてくれたなら。
ある種の願いのようなものを淡く持って千石はふと顔をあげた跡部を見つめたが、乱れた髪の間から見える跡部は上気した紅の頬、汗の浮かぶ額に熱をはらんだ艶の吐息で千石の期待したものはひとつだってなく、しばらくして跡部が食いつくような眼差しで千石を見つめ返した後、瞬いたまなじりからぴんと汗のつぶがひとつだけ散っただけだった。

fin.
自分だけじゃ思いつかないなーと思うような話がときどき浮かんで、それがこの企画の楽しいところでもありました。
ひりりとからい話……といえばいいんでしょうか。切ない話も好きですが、それとよく似ているようでちょっと違う感じが自分ではちょっと新鮮です。
いつか別れるときが来るのかなあと今でもふと、2人について考えますがよく分からないままです。
跡部家の誕生日パーティーに招かれる様子がちょこっとだけ出てる話を以前書きましたが(本で)、それの別バージョン、別未来といったところかな。
This fanfiction is written by chiaki.