「……あーと−べーくーん、何やってんのー」
「うるせえ」
千石は、土手の上で佇む跡部を見上げた。
背筋をピンと伸ばして、まだ冬の名残を含む勢いのよい春風を真っ向から受けている。
髪が風の流れに沿って後ろへ吹き上がり、さらされて、横顔があらわになった。
強い意志の表れともいえる眉がほんの少し険しくみえる。眼は一点の迷いもなく正面を見据えている。
まったく君らしい。
様になるその佇まいに感心を覚えながらも、小さく息を零して、千石は青々とした斜面を駆け上った。
よいしょと最後の一歩を大きく踏み出して歩道に辿り着き、顔を上げる。ゆっくりと上体を起こした。
変わらない出で立ちで跡部がいた。
千石はちらりと横顔を見ると、跡部が見つめている先を自分も見やり、身体の向きも変えた。
二人がそろって同じ方向を見て並ぶような形になる。
「ここで、何してるの」
ゆるやかに息を吸い込んだ時間だけ置いて、跳ねのけられた問いを再び呟いてみた。
真っ直ぐにこちらへ向かってくる風が目にしみて、少しまぶたを落とす。
土手下の広場には誰もいない。黒っぽい土のあらわになった平地はあまり広いとは言えなかった。
周りの伸び放題の草木に圧迫され侵食され狭まった場所より、橋を挟んだ右手にある広場の方に子どもたちは集まって野球をしたりするのだろう。
背の高い細い草が岸辺を覆っている。そのすぐ向こうにゆるやかな流れの川が見えた。
風を受けて水面がぞわぞわと震え、小波のように水がこちらへかわるがわる寄っては飲み込まれて消える。
「ねえ、」
千石はひとつ口にしてみた。
向こう岸は広場も何もなく、ただ水辺でよく見るような細い茎とも葉とも知れない草木が生い茂り、
一面を隠しているのが目に映る。
言葉の続きは形にはならず、千石は唾を飲み下した。どんなふうに今抱いている気持ちを表せばいいのか、言葉やそれを発する声音、そのときの振る舞い、ふさわしいすべてが分からなかった。形にならない言葉が口の中でもぞもぞする。微かにため息に近いものをついて遠くに視線を投げかけた。
風が吹き、その頭を皆一様にしならせ、微妙な風の向きの変化にもいっせいに身体をくねらせる。土手の草木、雑草の群れすべてがその身で風の音を表していた。ざわざわといくつもの音が重なり合い、うねるような音が下から渦巻いている。
千石は音のるつぼにぽつんと二人、立ち尽くしているような気分になった。返事がないなとぽつり思う。
ちょいと顎を持ち上げる。はっきりとその姿を浮かび上がらせた白い雲がぐんぐんと流されていった。空はどこまでも青い。時折鼻先をかすめる排気ガスに濁ることなく、瑞々しい果実のように青かった。
ためらいがちの唇で空気を食んで横を盗み見る。冴え冴えとした澄んだ蒼天を映して瞬きもせず、怒っているのとはまた少し違う顔で跡部は唇を真一文字に結んでいる。
千石はもう一度空に目をやった。自分の目を通して、世界がぐわりと青に染まっていきそうだと思う。
染まればいいと思った。
自分の心がすべてを受け止めるこの大きな空のように雲は追いやられひとつもなく、風が吹き去り晴れ晴れとして青空が広がるようであったら。
けれど、あまりに出来すぎた人間だと不相応な願いかもしれないと少し可笑しくなって顔の筋肉を緩めた。
目をつぶってみる。
斜め上を向いた自分の顔の上を滑って風が身体の中をすり抜けてゆくように軽やかに流れていった。そのまま静かに息を吸い込む。胸の内に満ちた涼やかな空気がすみずみまで染み渡っていく感覚を覚える。
空の青を分けてもらった風が自分にも少しそれを残していってくれたような気がした。
目を開けると薄絹のような淡い雲が一筋、散って消えていくところだった。
開きかけていた口を言葉の形に構え、思い切って放つ。
「俺、もう、いつもの俺だよ」
雲が霞んで風になる。
変な言い回しだと思ったけれど、その可笑しさも合わせて千石の気持ちを軽くした。微笑みを口の端に乗せ顎を下げる。岸辺の草がゆるやかに頭を起こしている。
ふっと一瞬風が和らいだ。
髪の毛がふうわりと頬にかかる。吹いていたときにはあまり感じなかった寒さが肌に降りた。寒いねと呟くように言った。それは意識するまでもなく、いつもの自分が持つ言葉の柔らかさだった。
「あと少ししたら、帰るぞ」
突然、風の合間に落とすように跡部が言った。
えっ、と千石が跡部を見やると同時に強い風が耳をさらうように二人の間を駆け抜ける。
跡部が千石を見つめていた。
土手へやって来る前の双眸にあった険しさの光は風に吹き流されたかのごとく消え去っていた。今、その瞳に見るのは青だ。
同じ空を跡部は見ていたのだと千石は思った。自分と同じ歯がゆさを抱えてここにいたんだろう。
あたたかな感情がひそやかに湧く。風に紛らすように笑いをこぼして、おっけーと明るく答えた。
跡部が静かに首を巡らせて先ほどの凛然とした体勢に戻り、空の青を目に焼き付けるようにした。白い横顔が先ほどよりわずかに柔らかいものになったようだった。
その出で立ちを見つめ、千石はわずかに目を細めて唇を和ませた。
青が、好きだと思った。
目の覚めるような空の青、清清しい君の青、そして俺たちの持つ青が好きだと。
ためらいの青、気遣いの青、優しさの青、沈黙の青、臆病の青。
二人の青臭さといえるそのもの。

いつもそこにあるブルーが好きだと、風の中で思った。

fin.
土手は好きですー。子どものころはよく遊びに行きました。ダンボール使って斜面を滑ったりとか。
なんだかわりと千石と跡部って喧嘩してるような……この企画内でも2つはあるかな??(険悪っぽいのも含めるともっとあるかもしれない)
そんな喧嘩をしそうなイメージはあまり持ってないはずなんですが、大喧嘩したらどうなるかなっていうのは考えるので、つい書きたくなるのかもしれません。
青は、わたしの中でもせんべのイメージカラーです。
This fanfiction is written by chiaki.