君が好き
健康管理はしっかりしておくように、と担任が言い終えたところで丁度チャイムが鳴った。
ホームルームの切り上げを示す言葉はチャイムに重なって、ぼんやりしていた千石の耳には余計に届かなかった。
ざわざわしかけていた放課後の教室が急速に浮き足立つ。椅子を引きずる音、ロッカーを開ける音、クラスメートを呼ぶ声、ふざけあう笑い声、学校らしい賑やかさであっという間にいっぱいになる。
終わったのかと肘を突き支えていた顎を浮かせて千石が首を巡らせると、教室はもうそんな状態になっていた。ゆっくりと伸びをする。猫背気味にしていた身体がじん、とほぐれた。疲れたあと意味もなく口からこぼれた
とす、伸びあげた手に何か当たったような気がして肩をすとんと落とし腕を戻す。
「メンゴ、メンゴ」
振り返りながら笑うと後ろの席の女子が自分を見下ろしている。いいけど、と立ち上がってカバンを肩にかけるところだった女子は言葉とは矛盾して随分そっけない言い方だった。何がいいのかよくわかんないなと千石は思う。
「じゃ、ばいばい」
「うん、ばいばーい」
あっさりと身を翻して席を後にしていく女の子を見ると余計にわかんないなあと思ったりする。
ひらひらと手を振って教室の出入り口のあたりを見ていると、数人集まった女子たちが一人の机を囲んで何やら話していた。
あ、そうだそうだ。
思い出して千石は机の脇にかけてあるカバンから携帯電話を探し当てた。担任はもう教室にいなかったが、廊下を他の教師が通り過ぎないとも限らなかったのでこっそりと開く。
「千石」
「あ、南」
呼びかけに振り向く暇もなく、ひょいっとテニス部部長が千石の前に顔を覗かせた。
何の着信も入っていなかった携帯をポケットに押し込みながら、地味な登場ですねえ、とからかうと、登場に地味もあるかと南が笑い返す。
「お前集まりとかある?」
「いや、たぶん、ない」
教室をざっと千石は見回した。さっき見かけた女子たちが、1班のメンバーは図書室に集まって、などと声高に呼びかけているのを聞きながら頷いて答える。
じゃ帰るかと南がカバンを背負い直した。今日の部活は休みだ。そのことは知ってるかなとふと千石は思って、いやそもそもちゃんと覚えてくれてるかなとちょっと不安になったりした。

部活のない帰り道というのも、部活のある日とたいして変わりがあるわけではない。
めいっぱい練習をするとぺこぺこに腹が減るから、南の好きなコロッケをいつものお肉屋さんで買って道々頬張りながら帰るのだけれど、成長ざかりの男子中学生というもの、動かなくても腹は減るものでたいてい意味もなくコンビニに寄ったりする。
そんなだから学校からほど近いコンビニは白い制服の生徒たちにいちばん人気で、登校時間と下校時間は特に大繁盛だ。
そのせいでおかげで食べたいものが売ってなかったり混雑していることもあって、千石たちはちょっと先に行ったところにあるコンビニに入った。千石わりとはこっちの店の品揃えの方が気に入っている。
「なあ、もう準備した?」
出入り口のドアを押すとからからと小さな鐘の鳴る音がした。半分身体を滑り込ませたところだったので、何、と南を振り返ると、準備と歯切れよく南が言って扉を支えた。
からん、と大きく鐘が揺れてドアが閉まる。ああ準備ねと言って千石はお菓子コーナーへ足を運ぶ。
「まだしてない」
「あーそんな感じだな」
どんな感じだ、と思ったけれど、確かに何もしていなかったので何も言わずにおいた。
何においても自分はぎりぎりにならないと準備をしない性質だ。まだ来週の話だとも思っていたし、仮に何か忘れ物があったとしても一人で行くわけでもなし、命に関わるような事態にはならないだろうと基本楽天的だ。
それに比べて南という人物は慎重で真面目だからあえて千石は同じ質問はしなかった。ちゃくちゃくと準備してるに決まっている。そんな感じだ。
棚にぎっしりと並ぶカラフルなお菓子のパッケージを目にして男2人、わりと真剣な目で商品を見比べていく。
南といえばたいていコンビニでもコロッケやポテトの揚げ物とか肉まんを選ぶのに、こうしてスナック菓子の棚を真面目に眺めているのは珍しい。
これにしようかなとカップに入ったチョコレート菓子とスナック菓子を手に取る。
「持っていくやつ?」
と千石が尋ねると、そうそう、と頷いた。
「持っていくといえばさ、モンハンあるだろ」
「あ、PSP?」
「ウチの班のやつらが夜やろうって言っててさあ、俺まだあんまり進んでないんだよなあ」
「部活で忙しいっつうのって」
「そうそう、やる時間ねえっつうのって」
ははは、と笑って南はお菓子コーナーから離れていき、何まんにしようかなと呟きながらカウンターへ向かう。
千石もモンハンはプレイしているけれど確かに他のやりこんでいる奴らより進みは遅い。それより、盛り上がっちゃって夜ぜったい見つかるんじゃないかなあと思いながら千石は今日の腹ごしらえの2品を品定めした。
カウンターには珍しく人が列を作っていて、スーツ姿のサラリーマン、大学生くらいの女の子、そして一足先に並んでいた南の後ろに千石はついた。
運悪くこの時間店員は一人しか居ないらしい。会計がもう終わるのかと思いきや、サラリーマンが右端の方を指差して店員に何か言った。
何があるんだと千石が列から顔を覗かせて見やるとそこにはおでんがあった。もくもくと湯気を立てていて、とても熱そうだ。
ふと、おでんっていつ頃からあるんだっけと呟くと、背後の自分に驚くことなく、最近は一年中あるんじゃないかと何気なしに南が答える。
「えっマジで? やー夏はなくても大丈夫なんじゃないの。俺知らなかった」
「夏にあんまり食う気はおきないよなあ。うまいけどさ。食べたくなるのは今頃からか?」
サラリーマンが店員に3つぐらい具を入れてもらい汁を注いでもらっていたが、それを見る南の目は美味しそうだと羨んでいるようにはあまり思えない。
「あ」
「どうした」
ぶーぶーと小さな振動が太もものあたりに伝わって、思わず千石はびくりと身体をよじらせた。そうだ携帯、と取り出してぱかりと開く。
「……ええい! このツタヤめ!」
「なんだよ、いきなり」
「いやなんてことないメルマガ」
ふう、と小さなため息をこぼす千石に南は訝しげな視線を送ったが、メルマガってうざいんだけど解約するのも面倒なんだよねえと千石は当たり障りのないことを呟いた。
「やっぱり、買っとこう」
「何をー?」
ころころと話題が変わるのは慣れたものという雰囲気で、南が列を離れていく千石に一応とばかりに尋ねる。
そうして千石はあれほど気にしていたおでんを覗きにいくわけではなく、これがあっちで売ってるとは限らないし、と手にしていた気に入りの菓子をもうひとつ買うためにお菓子コーナーへ戻っていった。

「ただいまー」
外から見た自分の家に明りがついていることを確認して、千石はあいさつ付きで家の扉を開ける。
南と学校の最寄駅のホームで別れ電車を乗り継ぎ、自宅の最寄り駅から徒歩で帰ってくる。それが千石の帰りのコースなのだがたまに自宅の最寄り駅付近で寄り道をしたりもする。CDショップや本屋の雑誌、マンガコーナーを覗いたりするのがそんなときのお決まりコースだが、今日はまっすぐ帰ってきた。平たく言えば小遣いがもう残り少なかったからだ。
靴を揃えず玄関を上がると、向かって右の居間から台所へ続くドアの方からトントントンと包丁でまな板を叩くリズミカルな音が聞こえた。
ドアの隙間からちらりと顔を覗かせてみる。
「清純帰ったのー?」
大きめの声で自分に呼びかける声に、うん、と返事をすると勢いよくエプロン姿の千石の母が振り返った。その包丁の構え方は危ないよお母さん、ときらりと刃の光るそれを見て千石は思う。
「もう、急にのっそり現れないでよ、びっくりするじゃない」
「その持ち方危ないって。ただいま」
「ご飯まだだから先お風呂入っちゃいなさいよ」
「うんー」
部活のせいもあって、学校から帰ってくると風呂に入って飯という流れが身についている。元よりそのつもりなので、適当に返事をして居間を後にした。2階への階段を上る途中で、
「そういえば、足りないものあったら言っておいてよ」
またギリギリになって言うんだから、と母の言う声が背中に届き、何の話題か脳みそが理解する前にあーと千石は返事をした。
自分の部屋に入ってカバンをベッドに放り投げる。一息ついて机の前に腰を下ろした。
ポケットをまさぐって携帯を取り出し待ち受け画面を確認する。メールや着信のあったことを示すアイコンはどこにもなかった。ため息のかわりに、準備しないとなー、と今頃になって母の小言に追いついた脳みそが呟きを形にした。
そのとき突然、じん、と手の中で携帯が震え、千石は携帯を取り落としそうになった。うひゃあ、と一人きりでも恥ずかしい声が洩れる。
またメルマガかあ?と八つ当たりのように携帯の画面を睨むと待ち焦がれた名前浮かび上がり、着信を知らせる受話器のアイコンがきらきら瞬いていた。もう一度叫びたくなるのを抑えて千石は食いつくように通話ボタンを力強く押し、耳に電話を押し当てる。
もしもし。
口から出た声は案外、小さく頼りなかった。うわ俺らしくないと瞬時に思う。
「…………千石か?」
電話越しの声もそう思ったのか、小さな沈黙の後で確認するように問いかけてきた。がやがやと向こう側が騒がしかった。きっと人がたくさんいるようなところから掛けているのだろう。
「あ、とべくん?」
「ああ、今帰ってきた」
まだクウコウ、と言った跡部がその言葉の端にちょっとだけ疲れた様子をにじませる。なんだかそわそわと落ち着かない心持で千石は、空港、と繰り返しながら空でその文字を変換した。やっとこっちに帰ってきたということだ。
「そっか、えっと、……どうしたの?」
「バッカ、こういうときはおかえりだろうが」
「あ、うん、おかえり」
普段より数倍気の利かない自分に心の中で頭を抱えながら、促された言葉を何気なく口にしたことにまた少しの後悔を覚える。ああそうだ、今日の授業中に考えてたのは、おかえりあとべくん!が開口一番のはずだったのに。
千石がそんなことを考えていることなど露知らず、跡部はおかえりの余韻に浸るふうもなく電話口から少し離れたところで、あーもー少しは黙れお前らは!と何やら周囲に言っているようだった。
「悪い、後ろで向日とジローが、」
と通る声が戻ってくる。
誰に電話してるかからかってるんだろう2人の様子とそれに目くじら立てて怒る跡部の顔をすぐに想像して、うん、と千石はようやく少し笑った。
「部活ないって、よく覚えてたね」
机の上にある目覚まし時計を見やる。まだ5時ちょっと前だ。
「覚えてる何も、行く前にわざわざ電話で言ったのお前だろ」
「ああうん、そうでした」
「それってこういうことだろ」
思わず、はいその通りです間違いありません、などと取調室で罪を認める犯罪者の気分になりかける。
「でもいつもなら一週間くらい会わなくたって電話くれないくせに」
口を尖らせて、俺も一週間くらいなら我慢しようと思ったのにとうそぶいてみる。
「嘘言え、1日1回メール寄越しやがったのはどこのどいつだ」
「一方通行の愛は、つらいよね」
全然辛くなさそうな声を聞いて跡部は、返事出したくなるような内容を寄越せ、と無理難題を言って笑った。こうやって電話してやってるんだから返信しなかったのは帳消しにしろよとも言った。
「……元気か、千石」
「うん?」
それこそおかえりを求める前に言う言葉じゃないか、とちょっと千石は思った。
空港の喧騒に紛れたっていいやというふうに、声聞けて安心した、と跡部は拾いにくい声で言った。ざわざわと向こう側の騒々しさが耳の奥でこだまする。じん、と胸のあたりがあったかくなって千石は一人笑みをこぼす。
……ああ、やっぱり好きだなあ。
少しの沈黙に幸せを噛み締めている合間に、千石?とまたいつもの声で跡部が訝しげな声を出していた。
「あ、うん、聞いてる。俺も大好き」
「それを聞いてないっていうんだ」
バス来たから切るぞ、とさらに音の洪水量が増えた向こう側に、待ってと千石が滑り込む。
もっかいちゃんと言っとく、と早口に滑り込む。
「跡部くん、おかえり」
おう、と返事した跡部の声も機嫌がよさそうだ。今日君のことばっか考えてたほんとだよ愛してる!と付け加えて電話口で投げキッスを送ると、と晴れやかな笑い声が電話の向こうで弾けた。

fin.
これは最後いったいどうなるんだ?と巧く思わせて結末に持っていく話ってすごくむずかしい……
ああ千石ってそろそろ修学旅行に行くのって最初に分かってもらえたらほぼ成功で、じゃあもしかして跡部は今修学旅行中なの?って思ってもらえたら大成功で、あ今日帰って来る日なんだ、だから千石そわそわしてたんだねーって分かってもらったら感無量です。
って説明しなくちゃいけなくてすみません。むずかしいなー。
千石も1日落ち着きがないですが、跡部も帰ってくる飛行機の中くらいから千石のこと、ぼんやり考えていたりすると思うな! みんながいる空港で電話かけるなんてよっぽど。
This fanfiction is written by chiaki.