2014
12/23
名前をつけないのは知識で、名前をつけたら記憶になる。
名前をつけたくなかったのは後悔で、名前をつけてしまったのは秘密。
名前をつけられなかったのは物語で、名前をつけ忘れたのは微笑みに消えて。
名前を覚えていようと願うのは恋で、名前を忘れても見つけられるのは思い出。
名前を忘れたかったものこそ覚えていて、名前を忘れてもすべては消えないで。
名前を知らないのは明日、名前を思い出す必要のないものはぜんぶ、君。
<真夜中に>

11/1
永遠の愛なんてとわらうのもほんとうで、
信じてるとわらうのもほんとうで、
かぎりあるものだとわらうのもほんとうで、
そんなこと全部どうでもいいってわらうのもほんとうで、
俺なしじゃいられなくなればいいのにとおもうのはねがいで、
それでもいいよとねがうのは、真実だと、おもう。
<いびつでせいじつ>

9/21
ほんと可笑しくて笑ったらこぼれて、転がったから拾って仕舞ったら思い出になって、
思い出はどこにも行かなくなったから分かち合ってひとつをふたつにして、
ふたりでひとつのことで笑いあい、あふれて形になったら、好き、だった。
<声にしなくても>

8/31
永遠なんて、と笑って君が食べるのは果てない刹那の連続で出来ていて、
約束なんか、と嘯いたあなたが梳かすのは寄せ集めの指きりで出来ている。
いつかなんて分からない別れを左目で見つめて、右目で見る君のことを疑いもしない。
ずっとという言葉をしたたかにあざ笑って、あなたにもらった想いに唇はほころぶ。
昨日を丁寧に引き出しにしまいこんで、明日のないカレンダーをふたり眺める。
手繰り寄せた今日の連続に互いのスイッチを押して、ぱちんと、音ひとつ。
<選択の朝>

8/30
もっとわがまま言ってくださいよとなじる俺を
あなたは困ったようにやさしく笑う
そうじゃなくて、あれもこれもほしいでしょ
喰らって飲み干してそれもどれもやるって言ってんの
こんど笑ったら、ほら、許さないなんていわないから
わがままきいて
<ああ!いっつもこうだ>

8/26
片っぽのアイスに、差し出された手の影、指の絡んだ手がふたつ、
わざと返さなかった雑誌こと、ごまかした言葉の先、帰り道。波の音。
いつも本当のことを感想文には書けなくて、並んだ机から眺めるまつ毛。
薄暗い教室。風をはらんだカーテン。形をなくした蝉の鳴き声。
きれいでもろいがらくたばかりが思い出されて、肝心の二文字が見つからない。
嘯いて願って捨てて信じて嘘ついて、もう聞こえない。
うそ。
言って。
<それだけが聞きたかった>

8/16
熱の下がらない君のおでこにそっと触れる
冷たい温度を夢うつつにたよって君は笑うね
すり寄る肌とその重みに俺はぜんぶを預かった気になって
痛いくらいに幸せになる
か細く呼ばれた名前のはしっこがほろりときらめいて
寂しがる、なんてうそだ
手離したいくらいに寂しいよ
<どうかいつまでも>

8/13
ふたりには狭苦しいベッドに寝転がって、暗くした天井に浮ぶ星空見上げる
君の買ったプラネタリウム
星のなまえなんてぜんぜん知らなくて、指差す君の横顔をずっと見てたよ
聞いてます?って星の影の落ちる頬がきれいだから知ってるよとしか言えなくなる
白い星が君の瞳できらめいて、心がきゅっと少し軋んで、かぶせたタオルケットの真っ暗闇で笑い合う
ぜんぶ俺のにしたかった
<いちばん星つかまえて>

8/11
いっこもないよと、あなたが微笑む。
ひとつもないよと笑う瞳に俺のすべてが映っている。
なのに欲張りな俺はこの唇でぜんぶをねだる。
わがままだって、もう知ってる。
<いっこもないよ=ぜんぶ好き>

7/18
きれいだねと褒めるその手が俺の指を絡めとるように。
肝心な言葉を隠して微笑むあなたに、俺はゆるゆるとふさがれていく。
何も言わずに、ただ俺の指を弄ぶあなたに、
名残惜しげに、そっと俺の髪の端をつまむあなたに、
振り返らずに、何も疑わず俺に手を伸ばすあなたに、
いつしかどれも攫われて、その言葉もないまま俺はあなたを見つめている。
ほら、大きな手を俺の指に絡めて、やさしく口元にすり寄せるのにやっぱり何も言わない。
卑怯だと心底思うのに、ついてこいの一言さえ言わないから俺が責めるのは間違いのような気がして、
ああ、やっぱり性質が悪い。
来年にはいないあなたを俺は追いかけていくのだろうか。
そう考えるのがばからしいと思うほどに、ふさがれた想いはもうひとつだけを追いかけている。
この、小さな世界で。

<ふさがれた楽園>

5/6
薄桃の桜が咲く季節を、私は好かない。
その足のなんと早いことだろう。
つぼみがふくらみ、咲ききるまではずいぶんともったいぶるというのに、散りゆくまでのなんとあっけないことか。
ひらひらはらはらゆっくりと、だが確実に足を止めないあれは恨みがましいほどに潔く、後ろを振り向くこともせず。
ふと見上げたときにはいつのまにか緑に己をゆずり渡している。
生い茂る無垢の葉が晴れた陽の下で乱反射する新緑の季節。
ああ、こんなふうにいつも見つめていた。

眩しすぎるこの季節を、私はそれ以上に好かない。

<君慕ひて目眩む緑>

3/31
春雷、あたたかい風を呼び、豊饒の土運ぶ。
一夜で花は咲き、ほころびみだれ、その枝春の重みでしなる。
淡い桃色の房なるたわわな影、踏み遊んで見上げれば誰の顔重なって。
はなぶさに霞み隠れる真昼の亡霊に手を伸ばし、手を、伸ばし。

 、

つかみ損ねた先に、春の雨、怨みて散る。

<我怨みて春の雨>

2013
11/9
聞きなれたニュース番組のオープニング。
付けっぱなしにしていたテレビからこぼれた音楽に風呂上りの濡れた髪もそのまま、千石はローテーブルの携帯電話を拾い上げソファへ腰掛けた。
日付が変わってまだ数十秒。
携帯電話を手にアドレス帳をめくる。番号をタッチしようとして、結局やめた。
前倒しでディナーに誘ったけれど今日も明日も忙しいからと断られている。今もデスクか、運が良くても帰りの電車の中だろう。
数時間以内には、声も聞けるし顔も見れる。
ただいまと告げて抱きしめて、おめでとうと言うこともできる。
ううん、と唸って千石はテレビのリモコンに手を伸ばした。パチンと糸が切れたように画面が真っ暗になる。
首にかけたままだったタオルでがしがしと髪を拭き、それから携帯電話に目を落とす。
するすると電話の角っこを指でなぞって考え込んだ後、時間を確認すると数分経っていた。
メールアプリを、そっとタッチする。
決まっている宛先に文章をぽちぽちと拾って打ち込む。
静かな夜の部屋にカチカチと時計の秒針が小さく響いて、やたらと時をゆっくりとさせた。
君が、一目見て微笑むように。君の時間をじゃましないように。
丁寧に一文字ずつ選んだ短い言葉を千石は満足げに眺めると送信ボタンを押した。
5文字じゃ足りない、想いをこめて。

<10月4日>

10/5
出られない電話のかわりに
みじかいメールを滑り込ませる
たった五つのひらがなに
それだけで、

<恋しくて>

3/17
あたたかな空気をまとった春一番が春のほころびをつれて。
コートを脱いだ素足が軽やかに陽の下で踊って。
冬越えの球根が赤いチューリップと花咲いて。
眠っていた公園に目覚めの笑い声がこだまして。
咲き始めた桜にふと足を止めて、誰ぞ見上げる。

春は、希望という馬車に乗って。

<春は>

2012
9/14
君が吐き捨てた言葉はぼくの唇からこぼれ、
あなたが思い出す頬をなでるその感触はぼくの手のひらで、
あいつの心を踏みにじったのはぼくの足。
君が目を見張るのはぼくのまぶたに焼きついた夕焼けで、
あなたが胸いっぱいに吸い込んだ香りはぼくの鼻が忘れられないすみれのもの。
あいつが唯一足を止める声は、このぼくの耳から聞こえてくる。
ぼくは、ぼくを切り売りする。
この目を、耳を鼻を口を手を足を、すべての感覚、すべての思い出を。
君に思い出を分け与え、あなたに目を預け、あいつの足となる。
一人の人間の出現を願って。

<これはぼくだ。>

6/2
「おい何ぼさっとしてやがる!」
……その声で、やっといつもの半分の半分ほどの思考力が自分に戻ってきた気がした。
そうか、何かしなければと思うのに身体はついていかなくてのたのたしていると、業を煮やした平和島静雄がへたり込んでいた俺の片腕を引っ張り上げた。
痛いよシャツが伸びると脊髄反射のように悪態を口にはしたがそれなりのボリュームになっていたかは分からない。
無様な格好だと理解は追いつくのに、掴まれた腕を振りほどくのも空いた片手をついて立ち上がることも選べずに、咄嗟に顔を隠したのは自分でも意外だ。
ああ変な汗をかいている。背中がひやりとつめたい。口の中はいつのまにか乾ききっていて、舌が張りついてだから上手く喋れないのだろうか。浅い呼吸が舌につまづいて嘔吐感に似たものが喉を圧迫する。俯きかけた額と首筋から得体の知れないもの(としか言いようがない)がそわりと流れていく。
そんな俺を認識した平和島静雄が眼鏡の向こう側で訝しげに眉を跳ね上げ、捕獲された宇宙人を本物かどうか見定めるような、いや疑うようなそれで見つめていた。
掴まれた腕が雑に放られて、長い平和島静雄の腕がひゅんと伸び俺の頬を引き寄せる。獲物の匂いを窺うように相手の鼻がひくひくと動くのが分かる。
「なんだお前、汗くせえ」
頬から耳にかけてその言葉と吐息が抜けていく。生温かい息遣いの聞こえる距離が気まずさを助長させる。女なら、見ないでと懇願するような場面だろうか。いやそれは気持ち悪い。逃げ場というものを探して顔を背けると、ああ?と首を傾げるような平和島静雄の声がして頬にかけられた手の力が弱くなった。
……動かない、話さない平和島静雄はまるで銅像だ。呼吸の音すら飛ぶような長くて短い沈黙があった後、
「やめた」
と急に興が醒めたように装った声音がとん、と頬を突き放して離れた。すべての空気が波が引くようにさっていく。人間のそれ。

俺はばかだ。

<静かに臨むこれ愚か也>

4/21
雷のときの話である。
其処らじゅうが停電になったときがあった。
夕方よりまだ明るい時分であったから、夕飯の用意も出来ぬとぼちぼち近所のものが外に集まった。
やれ変電所が事故だとか、やれ電線がとか、皆口々に騒ぎ立てるが誰に聞いたとも言えぬ話ばかりで電気のつく様子もない。
世間話も混じりだした頃、気づけば子どもたちが顔を覗かせてこちらを窺っている。
とうに雷も止んでおり、留守番にも家に引っ込んでいるのも飽きた頃合いだったのだろう。
大人たちもさして変わらないと気がつくと、こちらを窺いながら近づいてきて、何時つくんだろうなあなどと彼等なりに話合っている様子で頭を突き合わせている。
その顔は大人の話し合いに加わりたい、背伸びしたいそれなのだが無論大人は取り合わない。
子の心親知らず、早く帰れと追い払われるのが関の山で、仕方なく半分は従う形で子どもらは散ってゆき、また遠巻きにこちらを窺っている。
そのときの彼等の顔を、今でもよく覚えている。
ははあ、子どもというのはときどきこういう顔をして我々を見定めている。
本当は分かっているんだぞ。
こっちは、分かっているんだぞ、という目をして大人を見ているのである。

<知らずを知る子どもと>

2011
11/27
「跡部くーん」
「うん」
返事はある。けれどそっけない。
こういうとき自分が手持ち無沙汰だとつまんないなとぼんやり考えながら、見るつもりもない音を絞ったテレビと、ソファでゆったり新聞を読む時間を取っている跡部と見比べる。
なーんもいい番組やってないんだよな、とローテーブルに肘をつきその手に顎を預けた状態で、千石はなんとなしにテレビのリモコンへ手を伸ばす。ぱちぱちと数回チャンネルを回して結局元に戻した。最近流行りの、動画を紹介する番組が笑い声とともに流れている。
「……跡部くーん、どれくらいで読み終わるー?」
「あと半分」
跡部の受け答えは簡潔だ。新聞を読みつつも人の話をわりと聞いていてくれて返事をくれるのだから文句はないけれど、やはり新聞に集中している分、その受け答えは短くいつもと違って丁寧に考えたものではない。
あと半分って新聞の量のことじゃないかと思いつつ、同じ問いの二度目はしづらかった。
つまんないなあと再び思いながら、テレビに目を移す。相変わらず同じ番組がちかちかと画面に映っている。
「あ、すごいよ跡部くん、猫が壁登ってる」
「へえ」
「柴犬の赤ちゃんかわいいなあ。両手に3匹乗ってるよ」
「ふーん」
「ハムスターがすごい勢いで床走ってる! あ違う、すべってるんだ、すげー」
「ほう」
「CMの後はペンギンの逆立ちだって」
「ああ」

「跡部くん」
「うん」


「……好きよ」
「おうよ」

聞いていないと思っていたわけではなかったがそれなりの反応をよこされて少々びっくりして振り向いた。
新聞の影から跡部が顔を覗かせてこちらを見ている。
うるさいって綺麗な顔の眉間に皺を寄せて文句が来るのだろうか、とちらりそんなことを考えたが、予想に反して跡部は少し困ったような顔していた。
そういうことはちゃんと別のときに言えよ、と残してまた新聞の影に隠れる。文句と言えば文句だったが、“ちゃんと”の一言が跡部らしくて千石は思わず笑ってしまった。変な文句だ。
顎を手に乗っけ直して、新聞の向こうにいる跡部を見つめる。
「跡部くん、好きよ」
「……はいはい」
その声が微かに緩んで笑いを含んでいる。自分の顔が同じようにほどけるのを千石は感じていた。

<いつもきみを>

9/4
あのときあなたが、叶わない願いを (叶えられない、叶えてはいけない)
言葉にしてくれた、それだけで、とてもしあわせでした。 (しあわせでごめんなさい)

……ぼくたちは、誠実ということばが不釣合いなほどに、それでも日常を生きていく。
うそをついて、後悔して、
少し、笑って、自分を嫌いになって、
願って信じて、ちいさな希望を持って、誰かに裏切られた気分になって、
泣いて、泣いてもまた立ち上がらないといけないことに、心の折れるほど、くたびれて、
それでも、生きていこうと思う、夜が明けて、朝が来るから。

永遠に来なければいいと願った明日を、それでもぼくらは、生きていく。
永遠に来ない明日を、それでもぼくらは生きていく。

誠実ということばが、不釣合いなほどに。

<誠実ということばを、裏切らないふたりに>

8/20
こういう日はどうしたらいいか分からない。

窓の外をぼんやりと見る横顔がぽつりといってみせた。
「どういういこと?」
音量を落としながらテレビを見ていた千石は、跡部と開け放たれた窓から見える薄暗い空を見やりながら尋ねる。
夏には不釣合いな涼しい風が部屋を横切っていく。一昨日まで真夏日が続いていたとは思えないほどの涼しさだ。
「調子が狂うってこと?」
返事のない横顔に、千石は首をかしげながら座っていた位置をずらして身体ごと跡部に向ける。
まあ、そんなところだ、とようやく跡部は答えた。
「暑いのが夏だろ。こんな夏の隙間みたいな日ってあるか」
何かが気に食わないというように、小さく拗ねたような顔で唇を噛んだようにみえた。
うーんと唸って千石は頭をかく。俺は涼しい方がありがたいけどなあと笑った。
それを見て跡部は何も言わなかった。立てた片膝肘をつき、手の上に顎をのせる。
いつもなら、夏の強い日差しに透かされて薄い茶色のように光る跡部の瞳が、今日は灰色の空を映して落ち着いている。
夏なんかじゃねえのに、と苦味を帯びた声が少し肌寒く感じる風にまじる。
「それでも命を削って鳴くなんて、」
それ以上は言いかけて、声も小さくなって跡部はやめた。
目を閉じてまるで仏像のようにおとなしくなってしまったその表情を千石は眺めてから、テレビのリモコンに手を伸ばす。
静かになった部屋に、遠くから幾重にも重なった蝉の鳴き声が真夏のそれと変わらない存在感で鳴り響いた。
蝉が鳴く季節もあとどれくらいだろうか、大きな合唱もやがて小さくなっていって、いつかは夏が終わるだろう。
分からず、気づかず、気づいていても確かに終わる夏。
「……そうだねえ」
千石も秋の気配のする風を頬に受けて、一度だけ、ゆっくり瞬きをした。きらきらと何もかもが光る夏がちょっぴり恋しくなる。
夏の日がいいに決まってる、似合ってるもの。
そう呟いて少し、寂しくなった。

<夏の隙間に>

8/6
せかいのために。

たくさんの人のために。
自分を支えてくれる人のために。
どんなになっても、味方でいてくれる人のために。
最後の一人になっても、その人のために。
自分を、自分でいさせてくれる人のために。

ちいさくて、無限の、“自分”であるがために。

<ひとりと自分の小さなせかいのために>

6/19
何気ない一言にやさしさが含まれているのはよくあること。
分かりやすい思いやりが裏のある偽善だったりするのもよくあること。
まっすぐで飾りけのない言葉がそれ以上の感情を持って届くのはなかなか、ないこと。

……やめてくださいよ。
へんなこというから、なみだ、出るでしょ。

<ふいに>

6/11
電車の流れてゆく景色のなかで、一筋の足並みが静かな朝を横切ってゆく。
都会よりも広く低く感じられる町並みを、でこぼこした黒い頭の列がゆく。
黒いかばんを神経質に振って歩幅をきっちり守り早足に。
遅刻しそうなのか少し小走りに短いスカートがひらひらと。
ランドセルが太陽にまぶしい。友達と肩を並べたかかとが元気よく地面を蹴る。
追い抜かれることへの鈍感さと追い抜くことへの無関心さ、どこからか続く長い長い朝の一列がゆるやかに形作られる。
機械的な創造性は途切れるさまを見せない。
緑の鮮やかな水田の脇を、まだ起き上がらない朝を乱すことなく黙々とその列が過ぎ去ってゆく。
お喋りは少しだけ、まるで沈黙は美徳というように、大人しい人々は駅へと急ぐ。
無用なものを取り除いた質素な朝に。

<朝の葬列>

6/5
関係ないでしょう、と呟くたびに思い出した。
何度もあの日を思い出して後悔を重ねて怒りを強くして、ふたりの顔を、丁寧に仕舞いこむ。
関係ないでしょう。
ひとりだけの思い出を、分かち合えるはずもない想いを、僕だけのものを、誰にも渡しはしない。
関係ないでしょう。
そう言っているのに、いつも同じところで待っているひとがいる。
何も知らないのに大丈夫だと言って、関係ないのにそういう顔をまったくしないで、あのとき助けに来てほしかったヒーローの顔をして笑っている。
関係ないでしょう。
ときどき、その言葉に自信がなくなるときがある。
関係ないって言ってるのに。
分かち合えないに決まっているのに、勝手に持っていこうなんてしなくていいのに、気にかけてくれなくていいのに。

……関係ないでしょ、おじさん。

5/29
誰かを踏みにじったとき、

夕焼けの名残が漂う帰りみち、転がる石を大きく蹴り飛ばした。
ポケットに突っ込んだままのごみくずを道端に投げ捨てた。
溢れたままのゴミ箱を蹴り上げてやった。
すれ違った肩に思いきりぶつかって、何も、言わなかった。

誰かを、
誰かに踏みにじられたとき、

歩道のコンクリートの隙間、花を咲かせているタンポポ。
思わず避けた。

3/27
嘘くらいつくさと君は笑う。

今日は、晴れの日が好きだという君。
柔らかな陽射しを浴びて青々とした緑のように伸びをする君が、
太陽の匂いがするとはにかむ。
青空に空かれるその眼差し。

今日は、曇りの日が好きだという君。
薄く張った雲を見上げておでこを天につけようとするみたい、
こういう日がいちばん近い気がするんだと君が真面目な顔で手を伸ばす。
冴え冴えとした風が惹かれるその横顔。

今日は、雨の日が好きだという君。
染み渡る雨音に耳を傾け身体いっぱいに息を吸い込んで一呼吸、
水の中にいるみたいだと目を閉じる。君が、青い夢の中を泳いでる。
空想を呼び寄せるそのひらかれたこころ。

嘘くらいつくさという君に嘘はあっても、
昨日の君にも今日の君にも、明日の君にも、嘘はどこにもない。
ただ、君に笑いかけると、君が何も言わずに同じ顔をする。

ほんとうの君はいつもそこに在る。

3/9
さあなみなみとそそいでおくれ。
こぼれるは春の夜。
夜に溶けるおれのたましい。
さあすべて食らうておくれ。
闇夜に透ける肌、うっすらと浮かぶ血潮、その奥で艶めく骨。
あたたかな夜気にひろがるこのかぐわしきとともに。

さすれば我らたましいの契り、血の友、骨の友、魂の友となろう。


1/26
ぼくらは。

当たり前のように、嘆き哀しみ喜び楽しみ慰め肩を抱き罵りつき飛ばし、
食らい吐き捨て独占し分かち合い、傷つけ涙し、殺し、殺し合う。

当たり前のようにすべてを、赦すことはできないのに。

2010
8/26
どうして、何もかも思いどおりにならないんだろう。

願い続けた果てに、静かな横顔がそこにあった。
答えがあるとは思わなかった。
もう一度あの戯言を吐いてみせろと呟いてみても、語る口はもうない。
真直ぐに結ばれて、夜明けがその輪郭を形作る。
おい、と呼びかけた。
まだ何も終わってはいない。
静かな横顔を見下ろして、感じる空虚はいったい何ものだろう。
やっとここに辿り着いて、すべてが終わったと感じた瞬間のなんと短いことだろう。
願い続けた果てに、訪れたすべてはどうしてこんな心持にさせるものなのだろう。
言い訳のしない身体を掴んで揺さぶる。
「……、起きろ」

ひとつ、頬を打った。

3/14
2階から降ってきた弟も、
矛盾に苦しみ壊れていった人間よりも純粋な知性も、
桜の花ひらくあたかたかなこの季節も、

ぜんぶ、きみだった。

2/20
自分だ、とそれは言った。

内側から聞こえる声にそれは、自分だ、とひたすらに答えた。
誰の問いでも答えは同じ。
自分だ。
自分のためにそれが答え続けた。

自分だ。重みといえるものはそこにある。自分だ。
内なる声が聞こえる底、熱を秘めた芯の芯、そこから一点の視線が自分に注がれている。

自分だ。
悔いるは独り、自分だ。

自分だ、とどこまでももう一人、己が言う。