ぽい、と黒尾が火のなかに小さな枝をひとつ、投げ入れた。乾燥した木々がぱちんと爆ぜて火花が飛ぶ。赤く揺らめく灰が、ふら、と舞い漂った先に、炎に照らされ浮かび上がる赤葦の顔があった。その瞳は、じっと揺らぐ火の穂先を見つめている。
黒尾は小さくため息に似たものをついて、あぐらをかいたまま後ろへ手をついた。
「なあ、どうする」
「何がですか」
静かな声音は抑揚も少なくて視線すら動かさない。わかってるくせに、といなす必要はなかった。黒尾は決めかねているというところなのだけれど、赤葦がこんな顔をしているということはもう腹が決まっているということなのだろう。ああ、赤葦はいつもこうだ。ひとりで、もう何もかもを決めて、黒尾の数歩先にいる。
うーん、と唸って黒尾は頭をかいた。
「だってお前の親父さんこえーんだもん」
意外と気性の激しいところなんてそっくり、とは口にしなかったが、ちらりと見やると赤葦がすっと炎を湛えてつややかな目をこちらに向けた。
「俺が結婚したいって言って許してくれると思う?」
「……さあ」
ふ、と赤葦は口元を緩めた。
「じゃあ攫ってくださいよ」
「ん?」
いきなり何を言うんだと黒尾は首を傾けてみせる。けれど、赤葦の瞳は揺るがない。そのまま言葉を待ち続けるのに、黒尾はもどかしげに唸った。
「や、俺の両親の話は随分前のことだよ」
「知ってます」
でも、そういう手もある、と赤葦はきれいに笑む。
「好きな人と結婚したいからって、おばさんのこと攫うなんて黒尾さんのお父さんかっこいいじゃないですか」
「だからさ、それは昔の話で」
もう今はほとんどない風習だ。結婚を許されない者が相手を攫うという風習。
自分の両親はしあわせになれたからいいけれど、自分と赤葦がそうなれる保障はどこにもない。もし、赤葦が勘当されるようなことにでもなったら。そう思うと軽々しくそんなことは出来ない。
一瞬考え込むようにすると、
「黒尾さん」
と深く澄んだ声音が黒尾を引っ張り戻した。
黒尾さん、ともう一度赤葦は言った。その声の色に、黒尾はすぐに赤葦の想いをすくい上げる。それくらいにはふたりは長く一緒に時を過ごして、それほどに、互いのことを深く知っている。
ゆるく微笑んで、なーに、と黒尾は甘やかす。赤葦が口の端をほろりとほどく。
「俺のこと、攫って」
もう、覚悟が出来ているのなら。
黒尾にできるのは、いいよ、とどこまでも果てしなく許してやることひとつだった。
fin.(2014.10.27)