今、きみを好きでよかった
 好きな人と目が合うことが少なかった。昔から。
 初めて好きになった女の子は、みんながドッジボールをしているのを眺めているような控えめな子で、俺が顔を向けると慌てて俯いた。嫌われていないことくらい分かったけれど、別のクラスになって廊下ですれ違うだけになったとき、その子はまた恥ずかしそうに顔を隠した。好きなのに、まともに顔を見たことないんだなと気づいて、初恋ともいえない初恋は終わった。
 小学校のときから顔ひとつ分、周りより背が高かった。ゲーム好きの幼馴染は俺と話してると首が痛いと言った。お前、俺のほう見ないじゃんかよ。 からかうように言って、PSPの小さな画面を覗き込む横顔に首を伸ばして近づいた。ただの揚げ足取りだ。俺のことを見てるのも知っているし、耳を傾けているのだって知ってる。幼馴染は言った。
「クロは、見えすぎなんだよ」
 すい、と猫みたいな瞳が俺を一回捉えて離す。なんだそれ。俺は笑った。バレーするなら高いほうがいいだろ。そう言ったら眉間にめいっぱい皺寄せて少し下唇を突き出して、でも何も言わなかった。あのときはぐらかしたけど、言いたいことは分かってた。強がりじゃなくてそれでも俺は大丈夫だと思ってたんた。
 中学生になっても背は伸び続けた。目線だけが大人と同じになった。大人は、子どもに気後れなんかしない。同級生よりも大人と目が合うのは容易くなって、大人が俺たちをどんなふうに見渡しているか、そんなことが分かるようになった。
 幼馴染が袖を引っ張る。見るなって言ってるふうに。お前だって分かるくせに。気にしいの幼馴染は目立つことを避けるために周りをよく見ている。お前と同じだけだ。俺は、お喋りといたずらに忙しい黒山の同級生を見渡して言う。俺だけ違うなんて悲観ぶってなんかない。ただ、ちょっとずつ離れていくような気がしてるだけ。
 学年が上がるたびに、少しは背の高い同級生も増えるけれど、好きな女の子とは相変わらず目が合わなかった。
 座れば、顔が見える。遠くから眺めれば、視線が交わる。傍に立つと、俺は好きな人のつむじばかり見つめている。ぱちぱちと瞬く長いまつげの、動く影ばかりを追っている。ときどき、なに、と小首をかしげたその瞳が俺をぴたりと縫いとめる。でも、なんでもないって俺が言う前にはふんわりと長い髪の毛先が肩を滑っている。目を見て笑いたかったって最後に伝えたら、宇宙人の顔を見るように首をかしげていた。みんな誰もが宇宙人なのに。
 見る目がねえなってぼやいたら、幼馴染がそうだよとだけ言った。下手な慰めかただけど伝わるほうが何倍も心地いい。伝えたいって意思も伝わらないのは、いろいろと難儀だ。
 でも、お前は、なんでもないふうに俺のそばで俺を見つめている。
「大丈夫ですか」
 疲れたんスかって、ほんの少しだけ顎を持ち上げてすっと俺の懐に入るように近寄って、お前は俺を見てる。重たそうなまぶたをゆっくり瞬きさせて、俺のことを見透かすような夜更けみたいな瞳が、俺だけを見つめている。俺より五センチ低い眼差しが俺をいつでも捉えている。
 好きになったその日、その瞬間に目が合った。ばちん、って花火が散ったみたいに。実際は体育館の床をボールが弾いた音。サーブを打つときの射抜くような強い眼差しに惚れた。
 後でその話をしたら、変わってるってお前は目の前で笑った。凛々しい眉毛がちょっぴり下がって、まなこを眠たげにほんのりとろんとさせて、小さな口は、角砂糖がほどけたように端っこがくずれて、俺は自分の目に映ったその顔を今も鮮やかに思い出せる。
 何考えごとしてるんですか。その口元が楽しげだ。俺の癖をからかうように、目も柔らかに笑っている。
 うん。
 頷いて俺は、その瞳にぴったりと俺のを合わせる。
「……なんでもないよ」
 俺がこんなふうに笑っても、目をそらさないお前にはきっと伝わるんだろう。言葉ではない何かがきっとお前に伝わるだろう。好きだというだいたいの、言葉にならないものが伝わるだろう。
 こつんと額を合わせることだってできる、182センチの俺の恋人。
 好きな人と目が合った、今。
 
 君が好きで、ほんとうによかった。



fin.(2016.8.15)
8月のクロ赤の日は黒尾さんの思い出話のようなひとりごとのような、でした。
いつか書きたいと思っている話に同じようなエピソードを書くかもしれないのけれど、いつになるか分からないので小話として書いてみました。ぜんぜんその一文を出せなかったのですが、BUMP OF CHICKENの『天体観測』の、“背が伸びるにつれて 伝えたいことも増えていった”っていうの聞いて、ふと黒尾さんのことを思い出したのが元ネタのようなものです。
小さいころから背が高いとやっぱり大人びていると見られがちで、自然と頼られがちにもなって、黒尾さんはほんとうにずば抜けて大きかったと思うので、そういうのが苦になるとか嫌だとか感じる前に、周りの子と比べられて「大人と子供みたい」って言われてたんじゃないかなあと思います。損をしていると、思ったことはなさそうですが、周りに何を期待されているか、どんな役割を演じたほうがいいか、そういうことを強く悟ったことは多かったんじゃないかなあ。自分だけ疎外されてるなんてことは思わなくても、ちょっとの距離に寂しさを少し感じて、もうちょっと近かったら何か違ったのかななんてことには思い至らずに。
以前いた職場で185以上あった元バレー部の人がいて、いやあ、それは顔が遠くてですね、見上げながら話すのですが、気を遣ってくださってだいたいいつもちょっと身体をちぢこめて耳をこちらに傾けてくれて、物理的?身体的?に距離があるっていうのは、単純に、会話がしづらいんだなあって思ったことがありました。
だから、赤葦が背が高くて黒尾さんと無理なく目の合う人でよかったって、ふつうに思うんです。
「俺でよかったでしょ」って赤葦なら見つめて笑ってくれる気がする。黒尾さんに並べる人はそういませんよって、自分が男だからということを特別強調するわけじゃないけれど、卑下なんかしないで言ってくれる。
となりに目をやって、視線に気づいた横顔が、つ、と目線を走らせて、何も言わず目だけ交わして微笑みあう。目が合うって、それだけでけっこう幸運で大事なことで、満ち足りることなのかもしれない、と思います。
黒尾と研磨の仲は、もう付き合いも長いので見てる見てないって話じゃないんじゃないかなあ。長年の付き合いで聞いてるフリしてるのだって分かるし、聞いてないことが許せない仲でもきっともうない。肝心なことはきっと耳を傾けてくれていて、的確な言葉がほしいんじゃないことも分かっている。聞いているということ、伝わっているということ、それがお互い見ていなくてもだいたいのところで理解できていたらいいというような、良い友だちなのだと思います。
でも、たったひとりかもしれない(赤葦はきっとそうだけれど)好きな人には見てもらいたい。目が合ったら、うれしい。黒尾だってそこは同級生とも大人とも一緒なんだろうな。赤葦が好きで、そんな赤葦に好きになってもらってよかったね黒尾さん。
This fanfiction is written by chiaki.