ユー・メーク・ミー・ハピー!
(https://www.youtube.com/watch?v=y6Sxv-sUYtM)アドレスをコピペして、この曲にのせて4:07のあいだお楽しみください!


 長い一週間をようやく終えた週末、昼近くになって起き出し朝の身支度を終えたふたりが覚醒したまなこで眺めた部屋の有様はひどいものだ。本当はとりあえずコーヒーでも飲みたいところだが新しいマグもない。
 本。缶。DM。服。散らばるもの。
「さー始めよっか」
 洗濯かごを抱えた赤葦が無言で頷いてのろりと動き出す。黒尾はというと大股で寝室に引っ込んだと思ったら、ノートパソコンを持ってすぐに戻ってきた。対面キッチンのカウンターテーブルの端にそれを置く。スピーカーからはすでに音楽が流れていた。ソファの影に隠れていた靴下のかたっぽを拾い上げて赤葦が見たのは、中折れ帽子をほんの少し斜めにかぶり、白シャツを着た男性が手でリズムを取りながら夜の暗い路地を歩く動画だ。場面が次々と切り替わり、時間も場所も違う道が接がれ、性別も服装も年齢も違うひとびとにそのリズムが受け渡されていく。日差しに眩さを浮かせてひらひらと舞うピンクのドレス、ネオンの街を仕事明けのいかつい男が歌を口ずさむ。似たようなフレーズの繰り返しは心地よく、思わずからだが揺れるような楽しさがある。
「それ最近よく聴いてますね」
「おー。通勤もわりとこればっかり」
 誰も咎めるものはなしと機嫌良く首を揺らし、カウンターの上を片付ける黒尾の後姿を見やりながら赤葦も口元を少し緩ませた。お互い今週は仕事が忙しく、日付が変わってからの帰宅もコンビニ弁当もソファでの寝落ちも当たり前の生活だった。神経質でもなく別段きれい好きでもなく多少汚れてても死にはしないと考える男二人の部屋がそれでどうなるかは明らかだ。
 フローリングの床、イスの背もたれ、ソファに置き去りにされた服。袖を通したのかさえ覚えていないパーカーを拾い上げて、赤葦は逡巡してから顔を近づけ匂いを嗅ぐ。眠たげなまぶたをそのままに、首をひねった。
「黒尾さん」
「ウェーイ」
 液晶に映る、青いローブを着たゴスペルが天に拳を掲げて合いの手を入れたのに黒尾も楽しげに合わせて言った。
「ソファの服って洗濯したやつでしたっけ」
 たぶん自分への返事だと解釈して赤葦は特別な反応をすることもなく尋ねる。そのことを気に留めたふうもなく振り返らずに黒尾がうーん、と唸った。置きっ放しのマグやコップをカウンター越しにキッチンの作業台へ移している。
「だと思うけどな。あ、そこにグレーのTシャツある?」
「ある」
「それは着た」
「じゃ、上にあるやつだけ何枚か洗います」
 リビングの洗濯物を集め終えたかごを置き、赤葦もごみの片付けに回る。ローテーブルに並んだペットボトルや缶を捨て、そここに山のできた紙類を一箇所にまとめる。空腹の状態で細かくじっくり見る気はおきない。あとで確認するものだけテーブルに残し、いらないものは先ほど黒尾が紙ごみをまとめていた紙袋に入れた。
 汚れたマグをふたつと、ローテーブルの下から出てきた弁当を食べてその都度まとめた小さなごみ袋をいくつかぶらさげキッチンへ入ると、黒尾が洗い物をしていた。手拍子のリズムに肩を揺らし、歌を口ずさみながら少ない手持ちの食器を洗っている。空気に染み入るように広がっていくゴスペルのコーラスが再び歌に加わり、小さなしぶきをあげシンクに流れる水の音、いつのまにかスイッチの入れられた電気ケトルが静かに振動する音のまじって、これ落ちねーや、と呟く声が聞こえた。
「資源ごみって木曜日でした」
「水曜日。お前ほんと覚えないね」
「週一しかないのが悪いんですよ」
 自分でもよく分からない理屈だと思いながら、いっぱいになってしまった袋をキッチンのごみ箱から引きずり出し口を縛る。玄関にとりあえず運んでリビングに戻ってくると固く水を絞った台ふきん手渡された。黙って受け取り、余計なもののなくなったカウンターテーブルを拭く。持ち上げたパソコンの中では小さなバレエダンサーが長い髪をしならせてくるくると回っていた。
「洗い物終了ー」
 落ちないのは後で、と反対側にいた黒尾がこちらへ回ってくる。カウンターをぴかぴかに拭きあげた赤葦はローテーブルに取り掛かった。その横でフロアワイパーを取り出した黒尾がすいと床を滑りはじめる。リビングの中央でワイパーを持った手を支点に、くる、と半回転してみせる。何やってるんスか、とやわらかに息をこぼし膝を折ったまま見上げた赤葦に、にっ、と黒尾はいたずらな光を黒目にのせて笑った。そのままリズムを刻むように、足で軽くステップを踏み、揺らしたからだで腕をゆるく振る。見慣れないのは置いておくとしても、動画に映る人々よりはるかにつたなく少し不恰好で不慣れだけれどなんだかとても楽しげだ。
「今日上機嫌じゃないですか」
「久々の休みだーって感じしない?」
「まーそうですね」
 雑に答えて、赤葦がひょこひょことその横を通り過ぎようとすると、名前を呼ばれてついでに手首も掴まれた。反動を使った上手な力の使いかたで、黒尾に向き合う形になり台ふきんをさっと取り上げられる。目で追いかけたそれは放物線を描いてカウンターテーブルに見事着地した。大きな身体で手を広げにこやかに笑う男性、うららかな陽気に祝福されて往来を行く車椅子の女性の楽しげな表情が目に入る。
 手にしていたワイパーを押しやるように黒尾は手放した。ソファに当たって倒れて、かたん、と音がする。目を瞬いて訝しげな表情を浮かべる赤葦の手をするっと捕まえて、からだを自分のほうへ引き寄せた。
「踊ろ」
「はあ?」
「いいじゃん。付き合ってよ」
 返事も待たずに黒尾がさっきのようにからだを揺らしだす。黒尾の手におさまった赤葦の両手が勝手に手拍子に合わせて振れる。据わった目が赤葦を覗き込んで楽しげな色を含む。脛のあたりをちょい、と足先でつつかれた。
「足動かしてよ」
「んなこと言われても踊ったことなんか」
「俺もないよ」
 笑いのにじんだ声が跳ねて転がった。黒尾が歌手の裏声に合わせ、いーっと歯をむき出しにしおどけてみせ赤葦に額を寄せる。戸惑いが思わず噴き出して崩れるとその唇にすかさず、ちゅ、と音を立てキスを押し付け声に出して笑った。赤葦を誘うように繋いだ手を少々大げさに振り出す。ああもう、となし崩しのように許して赤葦もゆるく膝を曲げてリズムを取り始める。目を細めてこちらを見つめる黒尾をぴたり映す。
「踊れるじゃん」
「うっさい」
「ははは」
 どちらの声にも流れる音楽と同じ小さな喜びが含まれて、朗らかさに端々がやわらかくほどける。黒尾がからだを左右に揺らし口ずさむ。そのリズムに赤葦も合わせ、ときどき目配せし込み上げるおかしさに目を伏せる。動きがずれるのも気にしない。ぎこちなさはすぐに腹をくすぐるような笑いに変わる。黒尾がアドリブの歌声をまね、歌詞の語尾を喉を鳴らして歌う。そのノリの良さに赤葦は仰け反って笑った。あらわになった喉が食むような口付けに恋われる。あたたかでひたひたな熱と黒尾の髪が肌に擦る感触に、くすぐったい、と声のままに赤葦が言うとこぼれる息が喉をくすぐり、それから二人の声が絡み合ってほころんだ。
 もともとつまらないことなんかなかったのだけれど、どこから出てきたのか分からない愉快さに互いのぜんぶが今彩られている気がして、すべてを無責任でもいいから笑い飛ばしてしまいたい気分になる。されるがままに、首筋をたどり、頬に、まなじりに、おでこに落とされるキスを愛しさに首をすくめて赤葦は受け止める。もう一度、黒尾の歌声がその喉に響いてきらめいた。
 終わりは、微笑みのように控えめだ。静かになった部屋で黒尾と赤葦は顔を見合わせる。揃えたように瞬きして、それから、くつくつと堪えきれない笑みを口元にさらしてどちらからともなく、心から願っただけのキスをした。


fin.(2014.12.5)
Ph○rrell Williamsの『Happy』に合わせてお送りしました!
黙読の速度の平均は600字/分というのを参考にしつつ、各所音楽やPVにリンクさせています、が、どうでしょうか。動画を横に再生しながら読んでもらえたらちょっとおもしろかったりするかな〜と思います。1年分というくらいこの曲聴いたんじゃないかな…… ここに書いた曲の内容ならだいたいどのあたりの時間に来るのか、もう覚えてしまったわ。ちょっと変わったことできて楽しかったです!
黒尾さんのときは何もできなかったので、赤葦の誕生日にクロ赤で、ただただ楽しくてうれしい!って雰囲気のものが書けてしあわせです。誕生日おめでとう!赤葦!
This fanfiction is written by chiaki.