個人誌『彩り詩二百十二世界』の自己満足な解説、というより覚書に近いです。本片手に、暇つぶしにでもなれば幸いです。
※WEB再録に際し、本のあいだに挟んでいた神楽一族に関するレポートの一部、神楽一族の言語使用例一覧の資料ページの内容をこちらに記載しています。
・タイトル
彩り詩二百十二世界=212個の言葉で作られた詩のような言語の世界=赤葦の見る世界≒黒尾の見る世界と何も変わらない=世界は、誰にとっても等しく美しい
・中表紙にある【IMPERFECT≒PERFECT WORLD】
≒(ニアリーイコール)は“ほぼ等しい”ことを表す数学記号。
212個しか使えない言語の世界を“不完全な、未完成な”世界、制限なく言葉を使える世界が“完全な、すばらしい”世界としたとき、果たしてそれは正解なのか。赤葦が212個の言葉だけを使って見る世界は言葉少なくても、言葉を多く持つ世界に生きる者と劣ることはない、あるいは、持っていても使いかたを知らない者より、言葉と物事と自分とをよくよく照らし合わせ、自分のものにしてきた彼らのほうが世界は豊かに、眩しく鮮やかに見えるのかもしれない。
赤葦の世界(不完全な、未完成な)≒黒尾(ここでは便宜的に)の世界(完全な)。ふたつの世界は結局はほぼ等しい。
それと、使う言語は違っても見てるものは同じで、何も特別なことはなくて赤葦も普通の人間で、黒尾たちと何も変わらないってことも込めて。
・黒尾の性格付け(黒尾視点での三人称文体)
『蜜夏』シリーズの赤葦視点の三人称文体は、言い切りの形や(〜だ。)、「〜だと思う」よりかは「〜と考える」の使用が多い(たぶん)。赤葦を潔い性格だと思う表れ? 風景の描写はあってもそこに自分の感情を入れ込む描写は少ない。(たぶん)
そこを踏まえて黒尾視点の文体と差を。
単語を組み合わせて詩のような言葉を作るという話でもあるし、原作で詩的な言葉を言っていたこともあるので、この話の黒尾はいささかロマンチスト。本文でのいろんなたとえかたにそれを出す。(“新しいつげの櫛のように”なんて赤葦は多分言わない) 感傷的なたとえかたや考えが多いのも、やさしい性格が影響している。それゆえに感情移入しやすいところがある。
それを表すために、言い切りの形で終わる文章ばかりでなく、断定的でない結びかた、赤葦の使わない助詞、助動詞で終わる余韻の残るような曖昧な語尾(〜の。〜のような。)、「〜と考える」ではなく「〜だと思う」を多く使うこと。
面倒見がいい性格から、余計なことに首を突っ込む癖が少々あって(好奇心旺盛とまではいかない)、うっかり深入りすることもしばしば。人のことを気にかけてしまうタイプ。それが本文内で出る“かかとを踏む”という癖。(3回くらい出てます)
※・【T地方を出自とする神楽一族の由来と歴史 -閉ざされた一族の言語構成と言語感覚に見る-】(本誌9ページより)
“T地方にその峰を連ねるN山の麓には或る神楽一族の伝承が細々と残っている。
彼らがいつの時代からこの地方に定住しコミュニティーを築き上げたのか、現存している文献と口伝で残された民話の数々だけでは特定できるに至っていない。
一族は元々N山の山奥に村を成し、彼らの営みの中で独自に形成された土着宗教なるものを作り上げ、信ずる神に祈りを捧げ慎ましく生活していたというのがいくつかの伝承に共通する事項である。
時代の特定は出来ないが、いつの頃か一族が村を離れこの地を去り、T地方の村々を回り彼らの民間信仰のなかで神に捧げられる舞や芸を披露し旅を始めたのが、今現在も脈々と続く神楽一族の始まりとされる。
なぜ村を離れ放浪の旅に出たのか、その理由は様々に伝えられている。
寓話の域を出ないものも多いがどれにも共通する点が飢餓に因る伝承が多いということである。
厳冬、冷夏、酷暑、長雨などの気象影響に引き起こされた洪水、旱魃などの自然災害によって大規模な食料危機に見舞われ、土地はやせ細り、人々は飢え、渇きに倒れ、生き残った者たちが村を捨て旅に出たというのが多くの伝承にみられる。
一族についての文献の少なさには、彼らの特殊な文化を形成するに至ったひとつにも要因がある。彼らは日本語に属する言葉のうち212個のみを言語として使う。その由来は、彼らの信ずる民族信仰の対象である神の数が212であるという説、村を捨て放浪の旅に出る理由となった飢餓で亡くなった212人の一族の魂を表すものだという説が濃厚である。
一族の歴史や212個の言葉を使った言語について彼ら自身が書き記した文献は今のところ確認されていない。それは一族が代々伝えてきたものすべてが口伝であるということに起因している。
212個の言葉しか使うことの出来ない彼らの言語感覚は極めて特殊である。数少ない言葉を複数組み合わせ、現存売る単語に置き換え使用する。(※資料1参照)言葉の種類としては、自然や神楽に使用される道具、人間の身体の部位など身近なものを主に構成されている。ただし、同義と見なす言葉は重複して存在することが可能で、例えば“薬指”と“契り指”、“天”と“空”などは同じものを指すとしてひとつの括りに位置する。そのため正確には212個以上の言葉を使用しており、現在230近くの言葉があるのではないかと推測される。”
・神楽一族の故郷、T地方はそのまま東北地方です。参考にした伊勢大神楽が基本的には関西地方で多く見られる文化、とされているのであえて。黄金の稲穂の風景は、一度熊野古道を歩きに旅行した和歌山で見た景色を参考に。列車から見た刈り入れを待つ田んぼを見たとき、「ああ、たしかに黄金の稲穂以外の言葉が見つからないな」と思ったことがいまだに忘れられなくて(『人形芝居』)、夏になると必ず思い出す風景。
・黒尾と赤葦の山の手線ゲーム。
P48の言語使用例を見てもらうと分かると思うのですが、赤葦は基本、黒尾が言った言葉から連想して答えています。意味からであったり言葉そのものからであったり。“さみしい”だから“うれしい”、“土祝う”だから“土解く”と答えるといったような。黒尾は答えるのに忙しくて、赤葦がそんなふうに答えているとは意識はしてない。黒尾には言ってないけれど、赤葦なりに考えたハンデ。
・黒尾が赤葦のスパイクをレシーブするところ。
見にしみこませてきた感覚ってなかなか消えずに、いつになっても自然と身体が反応することって特にスポーツ選手ならあるんじゃないかなと思うんですが、“ここへ足を運ぶべきだという点しか見えない”というのは、ちょうどそのとき巨人の鈴木尚弘選手の特集番組見ていて、「走塁(ベースまで駆ける)のとき、“ここを踏めばセーフだ”というところが光って見えるんです」と言っていて、うわあすっげえってなったのを参考に。
・『蜜夏』でもさらっと書きましたが、黒尾は妹がいる兄で、赤葦は姉がいる弟設定です。黒尾は面倒見よさそうなところがやっぱり長子かなあという気がして、赤葦は要領が良さそうなところが弟かな、と。
・風鈴の話。
“骨のような白い舌(ぜつ)”がついた風鈴はウチにあるもの。よく見るのって、細長いチューブみたいなガラスが舌だと思うのですが、それはほんとに白い小指の骨みたいで、ちりんちりん、みたいに響きの余韻の残る音じゃなくて、ちりちり、と硬く乾いた音がします。その骨みたいなとこに惹かれて買って、ほんとに骨だったらおもしろいなーと思ってるんだけれど(ぜったいない)、「……じゃ、骨でできた風鈴ってあるかな!」とどきどきして調べてみたらやっぱり見つかりませんでした。ちぇ。
・≒遠い空を結ぶ
黒尾自身が考えた“遠い空を結ぶ”と、赤葦が知る“遠い空を結ぶ”は正確に言えば意味が違くて。
黒尾はこの時点で、結局のところ一緒にいたいと願っても、さまざまなことを考えすぎてそれは叶わないと思っています。でも、一緒に生きることが叶わなくても同じ空のしたにいて、別々の場所で生きていても相手を想う自由はある。空は、いつも自分の上にあって、自分と赤葦をつないでくれている。だから、黒尾の言う“遠い空を結ぶ”は「あなたを“いつも想ってる”」という意味になります。
でも、赤葦の知る意味は「ともに生きる」(P48の資料1より)なので、言われてびっくりした、というわけです。だってそれってプロポーズ。けど黒尾がその言葉を考えに考えて自分の気持ちそっくりに形作った心と、赤葦がびっくりしても笑って受け止めた心はかぎりなく近いと思うから、黒尾の“遠い空を結ぶ”と、赤葦の“遠い空を結ぶ”はかぎりなく等しい。“いつも想ってる”≒“ともに生きる”。
・「さよならを言うのは少しのあいだ死ぬことだ」 レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』から。
・∴花解く雷
赤葦と黒尾の出会いのサブタイトル。∴は、“ゆえに・結論”を表す数学の記号。
あとは、最大のネタバレであるP48の言語使用例を参考に“花解く雷”の意味は、……ということで、これがそのまま答えです。
赤葦が「よるのとり」と言った時点で黒尾のことをどう思っていたのか、どうしてほしいと思っていたのか、黒尾が無意識のうちに靴のかかとを踏んでいたのも、それゆえに。「よるのとり」の意味が分かると、腑に落ちる会話が2箇所かな、あります。
一座の素質があると赤葦が口説くのも、単純なんですと笑って繰り返すのも、黒尾が赤葦をいつかはひとり取り残される者だと度々感傷的になるのも、忘れたくないとまぶたのシャッターを切るのも、せいいっぱいの気持ちで「遠い空を結ぶ」と言うのも、「……やっぱり黒尾さんは夜の鳥だ」と最初に自分が感じたことが間違いなかったのだと赤葦が思うのも、別れの日に黒尾が踏んだかかとを直さなかったのも、すべてが終わってしまえばいいと願うのも、そこからのすべて。
赤葦が、黒尾に「よるのとり」と言ったときにもうすべては始まっていて、ぜんぶ、他に理由なんかなかった。昔からの悪い癖だと、笑って言った黒尾もそのときにはもう始まっていて、お互い、最初からそれ以外の理由がなかったのだと、思います。
※・“資料1.神楽一族の言語使用例一覧”(本誌P48より)
肩に風吹く[かた-に-かぜ-ふく]=寂しい
衣踏み沓差し[きぬ-ふみ-くつ-さし]=風変わりな。
身に着けるべき衣服を履き、靴を頭に被るちぐはぐな様を表す。
薬指を水で切る[くすり-ゆび-を-みず-で-きる]=辛い
焦ぐ音の田[こぐ-ね-の-た]=稲穂
心削ぐ[こころ-そぐ]=忘れる
心に招く[こころ-に-まねく]=覚える
田の香[た-の-か]=酒
盃交わす[つき-かわす]=(酒を)飲む
月分かつ[つき-わかつ]=年を取る
土祝う[つち-いわう]=種を蒔く
土解く[つち-ほどく]=耕す
遠い空を結ぶ[とおい-そら-を-むすぶ]=ともに生きる
子の橋渡る[ね-の-はし-わたる]=死ぬ
橋の影入る[はし-の-かげ-いる]=夢を見る
花解く雷[はな-ほどく-かみなり]=一目惚れ
日落ちず[ひ-おちず]=いつも
笛長く[ふえ-ながく]=呼ぶ
水香る[みず-がおる]=涼しい
御魂指引く[み-たま-ゆび-ひく]=魂を盗む・食われる 転じて、写真を撮る
満ち切る[みち-きる]=刈り取る
道巡る[みち-めぐる]=旅をする
胸に星照る[むね-に-ほし-てる]=嬉しい
門に向く[もん-に-むく]=出発する
夜の鳥[よる-の-とり]=人攫い、または、よばい人
夜陰に紛れて女子どもを攫う賊、夜這い(相手の寝所に忍び入ること)の文化があった頃の言葉
言葉少なに心通わせて、深いところではつながっているのにまだろくに明確な形にも行動にもしていないふたりが、互いの気持ちをもっと明確な言葉や態度で形にする、理解するのは、東京へ帰った黒尾の家に赤葦が訪ねてくるときかなと思います。
「黒尾さん、俺のこと好きでしょう」「え?」からやっと始まるふつうの恋。それから少し経ったあとの話が、『夜のある朝に散る』で。
こういうことを言ってしまうのはあれかもしれませんが、赤葦の一座はいつか確実に、滅びます。一族に伝わる歴史や言語がすべてが口伝であること、それを書き留めようとした決断がやはり遅かったんじゃないかと思います。多くのことを知っている者は高齢で忘れてしまった記憶も多々あるだろうし、裏取りも不可能に近い。既に両の手を切るほどの人材しかいない一座で、夏のみの仕事は職として成り立っているか(これからのことも含めて)も現実的には厳しい。最後の後継者の言葉のとおり、いつかは赤葦だけが取り残されて、眩く彩られた二百十二世界も幕を下ろす。ひそやかに細々と伝えられてきた歴史も言葉も想いも彼らだけの記憶のうちに留められて、黒尾が思い描いたみたいに、ろうそくの灯をそっと吹き消すように鮮やかな夏の世界も消えてなくなる日が来る。
その、ずっと“寂しがられる側の人間”である赤葦の手を黒尾はいつまでも離さないで、お前は赤葦京治でしかないよと当たり前のことを願うように笑いかけてほしいなあと願っています。赤葦が、さみしくないように。何言ってんスか俺は俺ですよ、とふざけて笑えるように。ひとりじゃないって、そんなこといちいち思わずともひとりじゃないことが分かるように。
かぎりなく等しく、黒尾と赤葦の世界が“≒”であるように。
……読み直したら自分の思い出とか記憶ばっかりで改めて恥ずかしくなったのですが、とにもかくにも、『彩り詩二百十二世界』を手に取ってくださいました方々、ありがとうございました! 拙い話を読んでくださったことに、ほんとうに感謝です。
2014.12.29