ありえないほど小さくて四角い世界の終わりと
「今だから正直に言いますけど、僕、怒ってました」
「……あ?」
夜の帳に浮かび上がるコートを瞳に映した黒子が言う。
青峰は自分の右に立つそんな黒子の横顔を見下ろしながら、訝しげな表情で首をひねる。
黒子が口を開くまで、2人はハーフコートで1on1を繰り広げる黄瀬と緑間を目で追っていた。というのも、黄瀬に誘われ部活のない学校帰りに4人でバスケをしに来たものの、黄瀬と緑間には持ち越しの勝負があるらしくその決着が着くまで、黒子と青峰はコートの端っこでぼんやり待ちぼうけを喰らうはめになったのだった。
だから、黒子の前置きも本題も、唐突過ぎて青峰の脳みそは追いつかない。てっきりすぐに2on2でもやるのだと思っていた青峰は着いてすぐ軽く身体をほぐしていた。けれど、1月の冷たい風にその身体もまた少しずつ強張り始めている。身体を縮こめ太ももを手のひらでさすり、何の話か分かんねえ、と素直に口にすると黒子がこちらを向いた。黒子も自分と同じようにストレッチなどして準備していたが、出番がまだだと分かるとすぐにマフラーを巻き直してしまった。口元を隠すように埋めて、寒いのか首をすくめるようにしている。開きかけた口を一度、息を吸って吐くことでごまかすのを、もご、とネイビーチェックのマフラーが動くのを見てとる。
「昔の話です」
くぐもった声と息がマフラーの下から静かに漏れて、細かな細かな雪を砕いたように白く散らした。

懺悔だと思って聞いてください、と黒子が言った。
その言葉に自分はたいそう不審な顔をしたのか、黒子が一瞬考えるように間を取る。どう言ったものかと悩んで首を傾けるようにした。
「君のこと、ではありません。僕自身の話です。それを聞いてもらえればと思って」
「ざんげくらい分かる」
「ああ」
青峰の表情を取り違えたのに気づいて、黒子は小さな声で謝った。どんな顔を自分はしていたんだろう、と青峰はそんなことが気になって、無意識に自分の頬に触れその冷たさに息を吸い込む。
昔の話と聞けば、それが何のことを指すのかくらいは青峰にも検討がつく。中学時代、自分が部活をさぼるようになって黒子とも疎遠になっていった頃。自分が、バスケをつまらなく感じて、それが他人のせいだと思って自分のせいだと驕っていたときのこと。
そのときのことを黒子に謝ろうと思ったことはない。あれは自分の話だ、と青峰は思う。自分のことだから、自分の感情でぜんぶ選んで、自分のことに自分のわがままを貫いて、自分のことを考えた結果だ。黒子に限ったことじゃない。自分以外を構うだけの隙間が自分にはなかった。大半がバスケで出来ていた自分の世界は、辞めたいとかいっそ嫌いになれればと願ってみても、そんな願いを持っている間は結局裏を返せばバスケのことを考えているのと同じで、あのときも青峰の世界は実のところバスケで出来ていた。ただ、隙間がなかっただけで。
僕自身の話、ねえ、と青峰は心の中でぽつり呟く。あのときの俺は俺のものだ誰にもやるもんか、と思うから謝る気はないが恨み言なら多少聞かされても仕方がないかと青峰はなんとなく、バスケに興じる昔同じ時間を過ごした2人を見てぼんやりと思った。
「……いーぜ。文句のひとつやふたつ交ぜたって怒らねえから」
「本当ですか?」
薄い瞼を半目に閉じて頭をかき息を吐いた青峰に、黒子はどこか安堵したように表情をやわらかくさせる。
「でも、言わないですよ。そういう話はいいんです」
ただ、ちょっととりとめないかもしれません、と言いながら俯きがちにマフラーを緩め、とうに陽が沈みすっかり冷え込んだ冬の空気に口元をさらす。
「正確に言うと、怒っていたというのはちょっと違うかもしれません。……青峰くんが部活に来なくなって、以前のように一緒にバスケが出来なくなったのを悲しいと思いました。それと、僕はたぶん、悔しかった」
そこで思い出したように黒子は下唇をそっと噛んで黙った。自分にないものを持つ青峰を羨ましいと思う感情は出会った当初からあった。ただそれは敬意を込めたものに近く、ないものねだりをするようなものではなかったと断言できる。けれど青峰が部活をさぼるだけでなく、義務的に試合をこなし自分に敵わない相手を見下すような態度をするようになったとき、その思いがどろっとしたものを孕んだのを黒子はときどき感じた。恵まれた体格、天性の才能。それを持つが故に青峰がすさんだのをよく知っていたけれども、自分が欲しいと思うものを持つ者が横柄で傲慢な心でプレイをしているのは心臓が踏みにじられるように痛んだ。見下される相手が、結局光の影でしかない自分と重なったからかもしれない。
悔しかったです、と振り絞るように言った黒子の声に、青峰はその瞳に涙こそ見なかったけれど泣いているように感じた。
「お前が、悔しがることって、あるかよ」
そう言った自分の言葉も随分擦り切れている。黒子が胸を上下させるように大きく白い息を吐く。その頬に伝うものはやっぱりない。
「ほんとですね」
そのときの自分を後悔するように小さく笑って、黒子は足元を見つめる。それは君を傷つけた連中と同じ感情なのに。そう呟いたのは微かすぎて青峰の耳には届かなかった。
自分も青峰と同じくらいの強さがあれば、そうすれば青峰のことを、キセキの世代皆のことを繋ぎとめられたのだろうかと考えたこともあった。今思えばそれはすぐに違うのが分かるけれど、自分はどこかで引け目を感じていたのかもしれない、と黒子は思う。光があっての影、光がなければ存在出来ない自分に、“バスケ”という場所に存在する意味がなくなってしまうようにさえ、どこかで思っていたのかもしれない。自信のない自分がきっといたのだろう。
「でも今なら分かるんです。僕は、君に悔しいと思っていた感情は、結局自分自身に向けられていたんだって。悔しさから強くなりたいとも思ったけれど、それは青峰君にぶつけるものじゃなかった」
ふ、とゆっくり黒子が顔を上げる。その視線は青峰の双眸をしっかりと捉えている。眩しいな、とコートの隅から頭上高く照らすライトを見上げて青峰はわざとその言葉を口にした。
帝光時代の自分たちは光と影とたとえられて来たけれど、ときどき青峰は違った感覚にとらわれることがあった。最高だと思うプレイが出来たそのとき、小さいけれど強くまっすぐな光に自分が照らされているような心持がした。歪みのないその光。見上げるのをやめて首を巡らす。その先には黒子がいた。
一瞬静かになったふたりの間を、黄瀬の楽しそうな声と相変わらず不機嫌そうに聞こえる緑間の声、ボールの跳ねる音、キュッと擦れる靴音、コートを踊る賑やかなものが支配する。
「青峰くん」
「……んだよ」
本当に恨み言を言いたいんじゃなくて、と黒子が少し早口で言って青峰のことを見つめ直す。
「悔しいとか練習に出て欲しいとか、以前のように戻れたらとか、一緒に、バスケをしたいとか、あのとき思っていたことは全部、僕の気持ちでした。僕だけの気持ちだった。そこに青峰くんや他の人の気持ちは、なかった。あのときの僕は、」
普段より大きく上擦った声は特に最後の方はもう駆け足で、突然はっと呼吸をとめたかと思えば、ぱちぱちと見張った目を黒子は瞬いた。凍えた空気に震えるまつ毛がライトの光を受けてするりときらめく。
「そうか、僕、ずっと自分に怒っていました」
そう言って目を細め俯き加減に黙り込んだ。そんな黒子を見、青峰はそろりと自分の頭へ手をやりぐしゃりと髪の毛をかき回した。きっと、自分は今黒子と同じような顔をしている。誰にもやらないと思っていた感情も自分だけだと思っていたあの狭い世界のことも、形は違えど黒子も同じように持っていたのにはじめて青峰は気づいた。やさしい黒子でさえ、あのときは自分のことでいっぱいになって自分の小さな世界でもがいていたと感じるなんて。ちっせえなあと青峰は心の中でぼやいた。たいそう昔のことでもないのに、自分自身はなんにも変わっていないように思うのに、急にあの頃の自分がちっぽけに思えておかしかった。払うように自分の髪をかんたんに直してから、青峰は自分より随分背の低い黒子の頭へたやすく長い手を伸ばす。冬に感化されて冷たくなった水色の髪の毛を思い切りよく掻き混ぜるように撫でる。
「相変わらずちっせえ」
「……これでも、ほんの少しは伸びたんですよ」
首をすくめ、俯いて見えない黒子の声は乾いたように微かにかすれていた。そうかよ、と青峰は言い手をどかした。こんなふうにしたときがあったと何故だか懐かしくもう戻ることは出来ないコートの光と影を思い出す。顔を上げた黒子はもう、普段のものとあまり変わらない顔をしていた。
ありがとうございました、と目礼した上に丁寧にぴょこりとお辞儀までつけて黒子は言った。
「聞いてもらえて、よかったと思ってます。これは僕のわがままですが、何かもやもやしたものを抱えたままで青峰くんと同じ思い出を持っているのは嫌だったんです。だって、全部が全部、思い出したくないものじゃなかったでしょう」
少なくとも僕にはそうでした、と懐かしい目をして黒子は微笑んだ。
「楽しいこともずい分ありましたし、今は、苦いものも、いつかは違う感情で見ることが出来るかもしれない。そうしたいと僕は思ったんです。だから、」
「わーってるよ」
その先を引き継ぐように青峰は割り込んだ。はい、と歯切れの良い短い返事を黒子がすぐに寄越す。
「俺だって覚えてる。お前がいたときの面白かった試合のことも、この間も、いい試合だったろ。覚えてるよそういうのは全部」
「そうですね。あれはいい試合でした」
目を合わせて笑い合う。何と言わなくともお互いウインターカップでの一戦を自然と思い出していた。
「次はぜってー負けねえ」
「それこの前も聞きました。けど、僕も負けるつもりはありません」
「お前もおんなじこと言ってたろ」
「何度でも言いますよ。次対戦するのはいつでしょう」
「あーインハイの予選じゃね? よくわかんねーけど」
「夏、あまり得意じゃないんですけど、寒いのも苦手なので早く暖かくなってほしいです」
「だな。俺は夏にバスケするのがいちばんおもしれーな」
「そんな感じです」
面白そうに黒子が小さな笑い声をこぼす。そして肩の力をすとんと抜いたようにしてからコートの方へ視線を投げかけ、青峰に聞こえるやっとの声で、ああこういうふうに君と話をしたかった、と呟いた。その眩しそうな横顔を見て、青峰はなんだかたまらなくなって自分の心臓を握りつぶしたくなった。自分がどう他人に思われても良いと思うのに、あのときの自分を分け合うものかと思うのに、あのときはいくらでも拒めたいつもそばにいたはずの影に今さら譲ってしまいたい気分になった。譲るというのは少し都合がいい。託す押し付ける頼むせがむ、……許される。口を開きかけた青峰を、黒子がふわりと見上げる。
黒子は何も言わなかった。一瞬小さく首を振ったように見えたがあまりよく分からなかった。ただ、なんとなく青峰は安堵に似たものを感じていつのまにか胸元を握り締めていた手をそっと解いた。黒子は、この話を懺悔と言った。けれど謝ることはなかった。だからこれは黒子だけの話で、これからするのは自分と、黒子の話だ。だから言い直す。
「……テツ、ありがとな」
まったく予期していなかった言葉だったのか黒子は驚きに一瞬目を見開いたが、青峰が上手く言えていたか後悔する前には目を細めて笑った。

「ところで青峰くん、」
「あん?」
黒子がちらりと自分の斜め後方を気にしたのに誘導され青峰がそちらを振り返ると、びゅんと空気を切る音ともに眼前にボールが迫っていた。とっさに左手でガードしながら身をよじって飛びのく。ボールは手のひらの端を掠り少し軌道を曲げ、青峰と黒子の間を抜けた。派手な音を立ててフェンス当たり足元を転がる。
「う、おっ」
「そこにいると危ないかもしれません、と言おうと思ったのですが」
「思ったのですがじゃねーだろ!はよ言え!」
「すみません。青峰くんなら避けられるかと」
「なんとかな!」
ボールを拾い上げ、青峰はコート外に快速球のパスを繰り出した人物の方に勢いよく身体ごと向けた。さらりと金髪をいじるのがまたわざとらしい、と舌打つ。仁王立ちで睨みつける青峰に悪びれた様子もなくへらりと笑いながらそいつは小走りにやってきた。
「やっべー手元狂っちゃった。黒子っち平気?驚かしてごめんね?」
「てめーバカ黄瀬! 謝んならこっちだろ!つかこっち見やがれ」
黒子を見つめる黄瀬はそのままナンパよろしく手でも握りそうな勢いだ。青峰が噛み付く横で、黒子も黒子で大丈夫ですよとこともなげに答えている。この推し量りかねる表情に意外とあっさりした感じ、変わっていない。このまま至近距離で黄瀬の顔にボールをぶち込んでやろうかとボールを持つ手に力を込めたとき、ちら、と黒子がこちらを見た。
「でも、青峰くんが危なかったですよ」
そう、これが黒子だ。やんわりと諌めるような口ぶりに黄瀬が気づかないはずはないのに、黄瀬はそれをかわすようにつんと小さくそっぽを向いてみせ、ひらひらと手を揺らした。
「あーもーいいんスよ青峰っちは。当たっても当たんなくてもどうにかなるッスから」
「なんなんだよ、テツはともかくてめーはよ!」
いつもより引っかかるその雰囲気に青峰が苛立つ様子をあらわにするとようやくそこで黄瀬は青峰を見た。一瞬細くなった目つきは女なら美形の流し目に見えたのだろうが、青峰にはそうは思えなかった。けれど青峰がかっとなる前にそれは失せ、だって2人で仲良さそうにしてるから、と身軽に黒子の肩に手を回して自分の方へ引き寄せ、何の照れもなしに自分のほっぺたを黒子の頭にぎゅっと押し付け含みのある表情で笑った。黄瀬くん、とバランスを崩しもたついている黒子にその顔は見えない。
いちいち腹の立つ行動ひとつひとつに裏を感じて、青峰は小さく舌打った。
「……お前わざとだろ」
「冗談! そんなことするわけないっしょ。ただね、余所見してると危ねーっスよ」
ね、と美形がその顔で口の端を上げる。ああ今日はそんな日なんだろうか、と青峰は頭をかく。
帝光時代、黒子との仲が疎遠になってしまっても黄瀬は特に変わった様子もなく自分に接し続けていた。黄瀬がする他愛もない話にはときどき、本当にときどきだけれど黒子の話題もあった。黄瀬はどうやら自分だけでなく黒子にも以前と同じように接し続けていたようだったから、その話をするのも黄瀬にとっては普通のことなんだと思っていた。ついでよりもその話題はさりげなく自然に紛れ込んでいて、中身をまったく覚えていないから自分は適当な相槌を打つだけだったと思うけれど、黄瀬は聞き終えた自分にいつもそんな、含みのある表情をみせた。さっきのとおんなじ顔だ。
あのときは何か言いたげな顔だと思い当たりもしなかった。黒子が自分たちの間にいなくなっても、何も変わらなかったと思っていたのはどうやら自分だけだったらしい。負い目に似た居心地の悪さを急に感じて青峰はつぐんだ口をへの字に曲げた。
「……」
「わっ、ちょ、いきなり本気のパス出すの禁止!つか今の顔狙ったよね!?黒子っち見た?!この人美形の顔狙ったっス!」
前触れもなく繰り出したボールを黄瀬はなんとか鼻先すれすれで受け止めた。黒子はというと、ボールがやってくるのに気づいた瞬間、黄瀬の腕をすり抜けちゃっかり避難している。そんな黒子に泣きつく黄瀬を見、青峰は口にこそ出さなかったが当たればよかったのにと鼻を鳴らした。
「モデルまだやってるんでしたっけ」
「ん? いんやー今少しずつ減らしてて」
黄瀬の表情がころころと変わるのはいつものことが、とりわけ黒子の前ではそれが忙しくなるようにみえた。整った眉を情けなく垂れ下げていたかと思えば、もうけろりとした様子で身振り手振りを交えて黒子に話しかけている。その背後からぬっと長身の影が差した。不機嫌な声がおいと呼びかける。黄瀬の1on1の相手を青峰は忘れかけていた。緑間だ。眼鏡を人差し指で押し上げるもっともらしい仕草が変に似合う分ときに鬱陶しい。変わんねー奴、と誰にも聞こえないように呟く。
「遅い。こっちのボールなのだよ」
「はいはい分かってますよーって」
持っていたボールを片手で軽く扱い、黄瀬が半身を向け緑間へ投げ渡す。緑間は大きな手に吸い付かせるようにそれを受け取り、眉間に皺を寄せる。
「まったくお前は無駄話が多いのだよ」
「ええ、だって久しぶりじゃん? いろいろ話したいって思うっしょ?」
ねえ、と黒子に同意を求める黄瀬と、律儀な返事を寄越す黒子を緑間は交互に見やり大仰にため息をつくと、さっきのボールに鼻を削られていたらすぐにでもモデルの仕事などなくなるのだよ、とちくりと言って背を向けた。
「緑間っちひっど!」
鼻先を指で気にしながら黄瀬がしかめっ面で言う。そして緑間の背中を追いかけて走り出したかと思うとくるりと黒子を振り返り、
「あと少しで終わるっスからそしたら2on2ね!」
俺黒子っちとペアーとピースサインを揺らしながら、青峰にも目配せした。そういうのは女にやれと投げつけてやりたかったが、微笑ましそうに黄瀬を見送る黒子が目に入るとその言葉も引っ込んでしまった。黄瀬と緑間の対決が再開されたところで、何かからの開放感に小さくため息をつく。
「……あーうっぜえ黄瀬うっぜえ」
「そういえば、大丈夫でしたか」
心配するように少し顔を曇らせ、黒子が自身の手のひらを青峰に見せるようにした。思い出したように青峰はさきほどボールが当たった左手を開いて握ってを繰り返す。まだ少し、じん、としていたがそれ以外はなんともない。
「平気」
「もっと早く気がつけばよかったですね。まさかあんな大暴投になるとは思ってもみなくて」
「そーだよテツ。俺だって超人じゃねーんだから、あーもーぜってえわざとだよあのバカ黄瀬」
青峰が少し恨みがましく口を尖らせるように言う。その様子に黒子は珍しさを感じながら青峰の言葉が引っかかって無意識に、超人ですか、と繰り返していた。
「……なんだか得心がいったような気がします」
「あ?とく?」
「青峰くんも人間だということです」
「はあ?たりめーだろ」
そうです、と黒子は満足げに笑った。どんなにバスケが上手くてすごくてもコートを出ればただの人です、と言う。
褒められているわけではないのは分かったがけなされているようにも思えなくて、青峰はうん、と自信なさげに頷いた。頷いてしまったというほうが正しい。そろそろ脳みそのキャパシティがいっぱいになりそうだった。今日はぐるぐると普段意識していない部分が忙しい。
「……おうよ」
「本当に分かってます?」
「あーうーううーん」
「いえ、別にいいんです分からなくても。当たり前のことを思い知っただけなので」
「あー」
「ちなみに僕も、君ほどバスケは上手くありませんがただの人間です」
「うん、まあ、それはうん」
「そこで曖昧な返事するのやめてください。傷つきます」
口ではそう言っているのに黒子の表情は変わらずやさしかった。糖分のすっかり足りなくなった頭で、青峰はその砂糖菓子のようなほろりと解ける顔を目に映す。黒子とその仲間と過ごしたすべてを覚えているわけでもないのに、ああこんな顔であのとき笑っていたような気がすると、そんなことで取り戻したようになるのは単純で傲慢だろうか。
黒子が、そろそろ決着がつくでしょうか、と気づいたようにコートの方へ視線を投げかける。つられて青峰も、ハーフコートの中で靴を鳴らし白熱したプレイを続ける黄瀬と緑間を見る。
フェンスに囲われ四方からライトに照らされて闇夜に浮かび上がるコートはまるで小さくかがやく離れ小島だ。青峰と黒子の耳を永遠にこだまするようなボールの跳ねる音と靴の擦る音が響き渡って交じり合う。ここだけが自分たちの世界のように感じる錯覚。白く曇った二人の吐息が夜気になじんで消える。今、同じものを見ている。辿り着く先と抱えている想いが違うのは当たり前なのに、それは小さく確かに心を満たす。永遠には叶わないその感覚を小さくて四角い世界の真っ只中で感じて、ああもうやっぱり黙っていようと、青峰は変に歪んだ口元を隠すように手で覆った。冷えた鼻先がひり、と小さく痛んだ。



 ***

「黒子っちのパスは縫い目そろえてくれることが多いからシュートしやすいんスよねえ」
機嫌のすこぶる良い黄瀬がにこにこと笑って1プレイを終えた区切りの良いところで口を開く。
スコアは青峰と緑間ペアにリードされているのだが、2on2で念願の黒子とペアを組めたことが勝って、まだ勝負の序盤ということもありその辺を気にした素振りはなったくない。
黄瀬の言葉に頷いた緑間がくいっと眼鏡を直す。
「高尾などいまだにムラがあるのだよ」
「あーなんかっぽい!んで、真ちゃんごめーんとか言いそう」
軽く物真似をまぜた黄瀬に緑間は本当にその瞬間でも思い出したのか一瞬にらみを利かせたが、気分次第というのも困るのだよ、と小さくため息をついた。バックボードの下あたりに落ちたボールを拾ってきた黒子に黄瀬が駆け寄る。
拾ったボールをくるくると両手の中で回して黒子は首を傾けた。
「僕ももちろんいつもというわけじゃないですよ。速いパスになると難しいですが、シュートチャンスのときはなるべく心がけてます」
「それでもじゅーぶん。今日は黒子っちのパスでどんどんシュート決めるッス!」
「お前が決めていないせいでスコア的には負けているのだよ」
ふっ、と鼻で緑間が笑ったのを黄瀬が振り返って威嚇する。これから逆転するとか、やれるものならやってみろという小競り合いを始めたのを黒子はため息交じりに見やり、自分たちより少し離れていたところに立っている青峰が黙り込んだままなのに気づいた。青峰が自分の視線に気づいてからパスをする。次は青峰と緑間ペアのボールだ。
「どうしたんですか」
「や、なんつーか、そーなの?」
青峰が渡されたボールを真剣な顔で見つめて、縫い目がきれいに見えるようにボールをまさぐる。こうか?と指先で縫い目をなぞってしっくりくるようにそろえている様を黒子だけでなく、いつのまにか小競り合いをやめた黄瀬と緑間が幽霊でも目撃したような顔で見ていた。
「マジで?!それマジで言ってんの青峰っち!いちばん多くパス受けていちばんシュート決めてるハズのあんたが何言っちゃってんの!?」
「えーーそうだっけ」
「不憫なのだよ黒子。同情を禁じえないのだよ」
「大丈夫です緑間くん。気にしてません。青峰くんのことですから気づいてないって思ってました」
「おいテツ、お前バカにしてるだろ」
「いえ、本能でバスケしてるということが言いたいだけで」
「それがバカにしてんだよ!」
俺だってなちょっとは考えてうーあー、と最後はまともな言葉にならず突っ伏す青峰を黒子が穏やかな笑顔で眺めている。まるで菩薩だ。
あーあ、と黄瀬がその様子を肩を落とし冷やかすような小学生のそれで見る。緑間はというと、額に手を当てた大げさなポーズを決め、げんなりした顔を作っていた。そして声を少し小さくして黄瀬に囁きかける。
「だからさっき当ててしまえばよかったのだよ。いざとなったら手加減しただろう。バカめ」
「あ、バレた。だってさなんかさ、黒子っちのトラウマになったら嫌だなと思ったりして」
「ふん、だったら最初からやらなければいいのだよ」
「ええーうーん、だって緑間っちがゴーサイン出すとは思わなかったッスから」
離れている距離はわずかに2、3メートル、こそこそしたところで十分青峰の耳にやりとりは聞こえている。それを見越してのことかもしれないので、青峰はぐぬぬと歯を食いしばって顔を上げるのをこらえた。今日は旗色が悪いのが青峰にもなんとなく分かる。雑念を追い払って黒子のパスを受けたときの記憶を呼び起こす。最近といえば、ウインターカップで誠凛に敗れた後に黒子のシュート練習に付き合ったときだ。目を閉じながら、自分がシュートするときに探る縫い目を感覚を手の中に収まるボールで確かめる。
黒子のパスは打ちやすい。それ以上のことを青峰は深く考えたことはなかった。黒子のパスなんだから当たり前だと、それくらいに思っている。ただプレイヤーとして、シュートを打つ際に縫い目に指を引っ掛ける方が打ちやすい。だから青峰もよっぽど切羽詰まったときでない限り、パスを受ければその縫い目を探ってボールを持ち直し、打つ。縫い目のそろえられた状態で自分にパスが通ればその時間が短縮出来、いろいろと有利なことくらいは分かる。うーんでもどうだっけな、と持っていたボールをごつんと額にぶつけた。持ち直していたかどうかなんて、一瞬のことで正直覚えていない。でもそういう煩わしいことを黒子とバスケしているときは感じたことがないように思えた。たぶん。
はあ、と大きく息を吐いて青峰は顔を上げた。ごりごりとボールを押しつけたせいで、ほんのり額にまあるい跡がついている。青峰っちおでこ、と気がついた黄瀬が小さく吹き出す。小さくそれを睨みつけてから顎を持ち上げる。
「仕方ねえから、今回はてめえらの言うこと信用してやる」
「うわあこの人めっちゃ偉そうッス」
「うるせえ、今度確認するからそれでいいだろ。テツのパスがすげーとは思ってんだから、うん」
「黒子、一度こいつを殴ってもいいと思うのだよ」
心底不憫だという顔をして緑間が青峰を指差し、いつものとらえどころのない表情に戻っていた黒子に言い放つ。ぼんやりした瞳で見上げる黒子と青峰の目が合う。ごくごく真面目に、青峰は黒子を見つめ返した。
「テツ」
「はい」
「……お前、ほんとにバスケ好きなんだな」
それが今湧き上がった率直な気持ちだったのだが、黄瀬と緑間には予想外の一言だったようで2人は言葉もなく顔を見合わせている。
「青峰くんに改めて言われるとなんとなく変な感じです。この間そうだって言ったじゃないですか」
どことなくくすぐったそうな様子だったが黒子がそれを冗談と取ることはない。
そうして、
「ずっと前から、好きでしたよ」
と言ったのをその確かな声と言葉の持つ響きに今度は青峰もあわせて3人で不意をつかれたような顔でぽかんとし、黒子は、きれいに笑った。



fin.
WCが終わって3学期が始まって少し経ったころ、という設定です。「“煙”のなか」のあとになります。
キセキの世代がそれぞれ別の高校に進学したあと、一部のメンバーだけででも集まったことないんじゃないかと思うので、黄瀬が「WCも終わったしストバスでもしようよ!」って関東メンバーを誘ったというのがこの話の発端です。
“青峰は意外と繊細”みたいなことがウィキペディアに書いてあって(たしかアニメでも黒子がそんなこと言っていたような)、ううん正直アニメではあんまりそうは見えなかったのできっといろいろあって中学の青峰とはちょっと違うんだろうな、と思っています。
中学生の世界なんてずいぶんと狭くて小さくて、自分のことで精いっぱいでまわりの人の気持ちなんて考えられなくて、繊細だったからこそ青峰は頑なになってしまったあとで余計に、“自分が他人どう思われてもいい”と思うと同時に他人の気持ちに鈍くなったんじゃないかなあ。(と、妄想)
やさしくて一生懸命だった黒子の世界だってやっぱりあのときは小さくて、黄瀬と緑間もそうだったろうし、でもみんな高校生になって少し自分の世界が広くなって、終わったものがあったことに気づいて、新しくはじまるものに気づけたら。
青峰と黒子のことを、黄瀬は黄瀬なりに緑間は緑間なりに心配してくれていたらいいなと思っています。
ハーフコート外に飛んでいってしまったボールを拾いにいった黄瀬が、青峰と黒子が話してるのを見て、今まで思うところがあった(早く仲直りすればいいのにーとか黒子っちと仲良さそうにしてるのずるいとか)黄瀬が「じゃましてもいいッスかね?」とジェスチャーを緑間に送ったところ、もどかしく思っていた緑間氏からゴーサインが出てああなりました。黄瀬は黒子になついている、という感じがします。弟気質なんですかね。
実は、最後の部分がこの話を書くきっかけで、4人でストバスに行だけのく短い話だったのですが、わたしのバスケ知識は『DEAR BOYS』を読んで覚えてるものでまかなっています。巧が蘭丸にそうやってパスしてるって言ってて、へーすっげーと当時思っていました。クォーター制に変わったって知ったのもこれだった。
バスケのルールとかテクニックを丁寧に分かりやすく書いてるマンガなのでおすすめです。

2014.4.27
This fanfiction is written by chiaki.