春は嵐
話があるから、と言って、他の者には先行してもらうことになった。
特に何かしなくてはならない話があったわけではない。いちいち別れの挨拶をするような仲ではもうない。あるとすれば、少しの間だけ二人きりになりたかったというのが、いちばんの本音だろうとライは思う。
アスタロテとの戦いを終え、それぞれがそれぞれの場所に帰ることになった。
ベグニオンに残る者とは帝都で別れを告げ、デインへ向かう者とは既に岐路を分かった。残っているのはクリミアとガリアへ帰る者だったが、それもここで道が分かれる。
ガリアの住人は国の重大機密とも言える抜け道を通って帰路に着く。
他国の者がそう簡単にその道を使うわけにはいかなかったし、そもそも抜け道は、化身すれば運動能力がはるかに跳ね上がるラグズだからこそ抜け道として使えるのであって、ベオクには険しい箇所を抜けるのが困難な者も多いだろうと、クリミアへ帰る人々は山を越える道を往くことになった。
そうなると、ガリア軍の副将であるライは抜け道へ、クリミアにある傭兵団の砦に帰るアイクは山道へ、ここが別れの場所になった。
「……なんか、改めてするような話とかはないんだけどさ」
抜け道と山道を往く人々の気配が適度に遠のいたのを察知してから、ライは口を開いた。
まあな、とアイクが無愛想だと常に評される顔を少しだけ緩めて頷く。
「ここまで散々、別れの挨拶をしてきたからな。新鮮な気持ちはどうしても薄れる」
「ま、仕方ねえよな」
ふは、と息を吐いてライは目を細めて笑った。確かに多くの別れを一遍に重ねてきて、しみじみとした余韻に浸る暇はあまりなかった。
もしかしたらそれは、ほとんどの者にはもう二度と会えないという事実が、わざと心を鈍麻させているのかもしれなかった。
それにと一言置いてアイクは一歩、ライに近づいた。
「お前にはまた会える。スクリミルが戴冠式を迎えるまでの間、一度くらいは俺もガリアを訪ねるから」
「そっか。俺も、なかなか机に縛りつけられて行けないかもしれないけど、何かの折にクリミアに出たらさ、砦に顔出すよ」
でも、お前たち貧乏傭兵団、なかなかいないからなあ、とぼやいてライは頭の後ろで腕を組む。
「貧乏暇なしだからな」
「身体壊すなよ。まあお前は叩いたって壊れはしないと思うけどさ」
「お前こそ」
ひとしきり笑い合って、はたと声がやむと、やけに辺りが静かに感じられた。山への入り口でもあるこの道は、木々に囲まれ鬱蒼としていて、すぐに人の残す足跡も話し声も吸い込まれるように拡散し消える。
ライは、手持ち無沙汰のようにヘッドバンドからちらりと覗いた耳の後ろを掻いた。耳の形は人間のものではなく、水色の毛が生えた猫のものだ。ぴくりとそれが動く。
「……また、春になったな」
またと聞いてアイクは逡巡したが、すぐに気づき、
「そうだな、前の戦いも春だったか」
と懐かしげに微笑む。
アイクとライをはじめ、今回の戦いを共にした仲間の多くが、以前クリミアを中心とした大きな戦いも共にした者たちだ。その戦いが終わったのも、今のようなあたたかい日が増えてきたそんな時期だった。
やわらかい風と日差しはいいものを運んできてくれるのかもしれない、とライは思う。
戦いに疲弊した人々も、これからやってくる春という季節に少しは心癒されるだろう。
「まあ春だからって、俺んとこはたいして変わんないんだけどさ」
「ガリアは湿気が多いからな、いつも暑い気がする。夏みたいだ」
「そ。俺は、もうちょっと経ったころのお前んちに行きたいな。色とりどりの花がたくさん咲いててさ、好きだよああいうの」
口の端を持ち上げてライが笑うと、アイクがわずかに戸惑ったように笑んだ。一瞬、柔らかく握り締めた手のひらをライは見逃さなかった。
まったく、と心の中で息を吐くと、組んでいた腕を落としてずいずいとアイクに近づいた。
なんだ、と時折見せる幼さの残る顔でアイクがライを見下ろす。
ばしっ、っと小気味よい音をさせてライはアイクの頬を両手で挟みこんだ。じっと、左右色の違う瞳でアイクの深い青の瞳を覗き込む。合った目がぱちくりと瞬く。
「なーに、いつものお前らしからぬことしてんだよ。我慢だか遠慮だか知らないけど、なんか堪えた素振りみせてさ」
こういうときは、抱きしめてほしいって素直に言えよ。
ライが告げると、アイクは一瞬目を大きくした後で、すっと自分の頬に添えられた手を自分の手で包み、
「お前が欲しい」
と真面目な顔で、躊躇という言葉を知らないかのように言い放った。
その予想もしなかった答えに、今度はライが目を瞬かせる番だったが、すぐに楽しそうに声を立てて笑った。
む、と明らかに仏頂面になったアイクの顔を見て、ますますライは可笑しそうにする。
「お前な、そういう言い方は俺、教えた覚えないぜ」
「俺は真面目に、」
「知ってるよ」
いまだに年上の物言いと態度が抜けないライに、アイクはときどき軽くあしらわれるものだが、ライだっていつもそうするわけではない。アイクが今どうしてそんなことを言ったのか、ライにだって分からなくはなかった。
その心がいとおしくなって、ライは幅広いアイクの肩に腕を回して抱きついた。
「分かってる」
頬を肩のあたりに押し付けて、ライは気持ちひとつ込めて呟いた。
それが分かったのか、何か言いかけたアイクは飲み込んで黙った。代わりに、自分もライの背中に腕を回してほどよい力を込めて抱きしめる。
ライはそっと息を吸い込んだ。
「スクリミルの戴冠式を見届けるまでは、お前のものにはなれない」
小さな不安を自分もまったく感じていないわけではない。どんなとも、何にとも、答えがたい小さな不安の種。けれどライは極力明るい声で言おうと思った。
楽しみにしてるのは、約束したいのは、本当のことだから。
「会いに行くよ、砦に。お前の顔と、咲き乱れる花を見に」
「待ってる」
力強く、アイクは一言答えた。それ以上は何も言わないアイクの潔さが、ライはどこまでも好きだと感じた。
愛しさをすべて閉じ込めてしまいたくなって、ライはひっそりと目を閉じる。
「……ぜんぶ終わったら、」
お前のものになるよ。
少しかすれた声で言ったその続きは、春を待つ森の静けさの中で消えずにアイクの耳へ届いただろうか。



Fin.
暁EDの話。
皆それぞれ戻るところへ戻って、その後の人生でまた出会うこともあれば、二度と会うこともないと思うと、ちょっとさみしいなと感じます。
アイクとライはこの後お互いの仕事を片付けたら、アイクがライを迎えに行きます。
新大陸に行く予定に、アイクの中ではすでに“ライと一緒に”が組み込まれているといい。

2008.3.16
This fanfiction is written by chiaki.