「……あっつくね?」
と尋ねると、お前はな、とちらりとこちらに目を走らせたアイクがわりと平気そうな顔で答える。
ああそうかも、と納得がいってライは自分の服装に目をやる。
ちょいとワイシャツの胸元を持ち上げてから、ぶら下がっていたネクタイをぐるんと回し投げて肩に引っ掛ける。
別にそれほど高価なものじゃないけれど、営業にとって夏場は次から次へと要りようになるネクタイは先日、年々早くなってきているようなセールで買ったばかりのもので、いくらなんでも新品に弁当を食べさせるわけにはいかなかった。
上着は既に脱いでいたものの、やっぱり長袖は暑いよなあと、隣にどかっと座り半そでのTシャツにジーンズで弁当をかっこむアイクを見る。
「あつい」
熱に焦がされたような声が洩れる。ぐさ、と割り箸を幕の内弁当の日の丸ご飯に突き刺した。
もぐもぐとリズミカルに咀嚼していたアイクが、喉を鳴らすようにして飲み込む。
「だから、どっか涼しいところでもいいんだぞって言っただろ」
「や、そうなんだけど、こう営業してると冷たいものばっかり出されて身体が冷えたりするわけよ。
昼休みくらい外で健康的に過ごそうかと思ったんだけどさ」
今二人が座ってコンビニの弁当をかっ込んでいるのは街中の小さな公園だった。
水溜りよりかは大きい噴水と、小さな木立が日陰を作っている静かな場所で、マイナスイオン効果と木陰のタッグが涼しそうに思えたのだ。
しかし冷やはり房の効いている室内とは比べ物にはならず、弁当を三分の一ほど食した後で、
「やっぱり、外あっつい」
という結論に至った。
俺はそんなに、というアイクの家はあまり冷房をつけないらしい。もう夏休みに入ったも同然の大学生は、剣道に毎日忙しかった。そろそろ大会もあるという話だ。
「俺は無理。確かに外回りあっついけど、移動は車でエアコンつけてるし、どの会社もガンガンついているし冷たいものくれるし、家でも帰ったら即つけるもんな。無理、あっついの無理」
真剣な顔をして半ば目が据わったように呟くライに、アイクはもう、だから中で、とは言わなかった。
もう残り少ない弁当を持ったまま、じーっと下から上までライを見定めるようにする。
「……なんだ?」
いや、そういう格好で仕事してるんだな、と思って」
持っていた箸でライを指し、カルビ弁当の具を摘んで口に運ぶ。
スーツで会うの初めてだっけ、と今更ながらライも思い返して、これ?と自分を示した。
「うん。きっちりスーツ着て、ネクタイ締めて、七三分けみたいな」
いつもと髪型違うな、と付け足してアイクはまた大きな口で一口分を飲み込んだ。
それを見、ライは少し慌てて弁当を置き、膝をアイクの方へ向けた。
「え、いや、そうかな」
「あーすごい違うってわけでもないんだけどな、仕事用と普段は大分イメージが違うもんだなと思って」
「なんだよ、俺が普段ものすごーく奇抜な服着てるみたいじゃないか」
表情を険しくして、アイクの出で立ちを見る。軽やかな若々しさはそのままアイクの年齢を表している。
社会人と大学生、歴然とその境目を見るようで久々に、はっとしてぐさっときた。
胸元を押さえながら息を吐くと、アイクが首を傾げた。
「どうした」
「いや、うん、お前がこの格好、嫌だなーとか変だなーとか思わないならいいんだ。うん」
「思わん。お前らしくていいじゃないか」
「何が」
「真面目な会社人で、働くお父さんみたいな」
「お前褒めたつもりかもしれないけど、ぜったい褒めてない」
言いながら弁当を拾い上げる。
褒めるなら、バリバリ仕事こなしてそうとかもっと持ち上げろよ、と話してぱくぱくと弁当の残りを口に運ぶ。
持ち上げる?と繰り返したアイクがライの背後にちらりと気を配るようにしたが、ライは振り返りはしなかった。細かい砂を駆ける小さな足音がする。
「ライ主任!」
「はへ?」
条件反射で思わず咀嚼途中で返事をしてしまったが、ぐっと食べ物の塊を飲み込む間にライは覚えのある声の主を探り当てていた。
振り返ると同時に、相手の名前を叫ぶ。そこには駆け寄ってくる同僚の姿があった。
どっと、汗が噴出すような気がした。それは確かに気だけだったのだけれど、やってくる同僚が嫌な人でもなくむしろとても良い人なんだけれど、ここは出来るならダッシュで逃げ出したい、と思った。
近寄ってきた同僚はにこにこと愛想のいい顔で、大きなカバンを片手に汗を拭き拭きやってきた。
落ち着いた色のスーツにネクタイ、体型は中肉中背といったところで、笑った目じりに皺が刻まれている。年齢は、明らかにライよりも一回り以上も年上にみえる。なのだが、主任とライが呼ばれるとおり、同僚であり部下なのだ。
「ライ主任、外で昼ですか?」
「あ、はい、たまにはと思って」
答えながら、ライはずっと抱えたままだった弁当を行儀よく持ち直して、勢いよく立ち上がった。
ちらりとライの隣にいたアイクに同僚は目をやり、会釈する。
「主任の弟さん、ではないですよね。ご友人の方ですか」
「あ、はい、幼馴染で」
簡単にアイクのことを紹介する。アイクはもう食べ終えた弁当を片付けていた。
やりづらい、と正直思うのだが、それは顔には出さず営業で培った笑顔をライは浮かべる。
「佐藤さんもお昼もう取ったんですか」
「はい。先ほど小山さんと浜名さんで近くの蕎麦屋に」
といい終えると、ほら、と佐藤と呼ばれた同僚が右半身を引いて、自分の後ろを示すようにした。
え、と正直な気持ちがちらりと洩れた声とともにライがそちらを窺うと、こちらへ新たにやってくる人影がふたつあるのが見えた。
ライ主任、とまたしても駆け寄ってくる同僚は佐藤と同年代で、よりによって、とライは頭を抱えたくなった。良い人たちなのだけれど、年下の上司というのはいまだに落ち着かないものだ。
早く会話を切り上げよう、と心に決めて頷いてみるが、近づいてきた同僚の一人が書類を手にしている。
「昼休みにすみません、ライ主任、この後すぐにこの取引先へ行くんですが、ひとつ確認したいことがあって」
「いえいえ、どこですか」
「えーとこれなんですけど……」
ばらばらと束ねた書類を捲っている同僚の目を盗んで、恐る恐るアイクを見やると、案の定な顔をしてアイクはこちらを見ている。
とりあえず、悪いという意味を込めてライが手をこっそり上げると、気にしてないというふうにこっそり笑った。
「あ、これはですね、」
この後アイクにきちんと説明しなければ、ライはと思いめぐらせる。
40代のこの人たちは中途採用で、自分は先に勤めてただけだからなのだなんて、謙遜みたいだけれど本当のことは言っておかなけりゃ気が済まない。
憂鬱だ、と夏の空に似合わないことを思う。
働くお父さんを見るみたいな、子どもっぽい表情されるなんて年上はほんとに気の毒だ、と部下に指示を出す主任をきっちりこなしながら蝉の鳴く夏空の下、ライは心の中でため息をついた。
fin.