ひだまりをいだく
よく晴れた青い空の下、不意に、干されたシーツが大きく膨らみ舞い上がった。
「よう」
ぼんやりとした影がすっと現れる。獣の耳と尻尾を揺らして腰に手を当てて立つ姿と、聞き慣れた弾む明るい声にアイクは自然とその名前を口にしていた。
「ライ」
「おう」
久しぶり、とシーツの向こうでライが手を上げ、笑ったような気がした。


「突然だな」
数週間ぶりに会う相手に久しぶりだと驚きの残る声で返す。
先日ライから届いた手紙は、当分会えなさそうだというような内容で、だったらそのうち自分から出向こうと思っていたところだったのだ。
太陽の光を反射して軽やかにその身をそよがせるシーツに、ライの影が踊る。
「そ、突然こっちに出てくる用事が出来てさ、寄り道してみた」
「寄り道か」
「うん。泊めてもらう時間はないんだけどな」
影がするすると動いて、頭の後ろで手を組むようにする。
「ていうかアイク、お前何やってんの」
「ん」
少し笑いの滲む声に気付いて、アイクはぱちぱちと目を瞬き、両手に抱えていたまだ濡れたままの白い布に目を落とす。
洗濯、と答える前に目の前の影はくつくつと笑いを漏らしていて、シーツ越しに自分の姿はどう見えたのだろうとアイクはふと考えた。
アスタロテとの戦いを終え、それぞれが自分の祖国へ帰ったように、アイクたちグレイル傭兵団も故郷クリミアへ帰り、いつもの生活へ戻った。
とはいっても、ぽつぽつと日の短い仕事をこなした後でぱたりと仕事の依頼が途絶えている。
傭兵が仕事なのだから、戦いだのいざこざがなければ食っていけないのだけれど、ようやく訪れた平和に誰も仕事がないことを嘆く者はいない。傭兵稼業が暇なことはいいことだ。
何より、随分長い間放ったままだった砦は荒れ放題で、家屋の傷みや周囲の草刈、小さな田畑の世話など溜まりにたまった小さな仕事でそれなりに毎日忙しかったりする。
今日は快晴だ、家にある布という布を集めて洗濯にかかった。
これだけの量があれば力仕事も同然で、女性陣ではなくアイクの担当になり、川で数時間ごしごしと山のような洗濯ものを洗い、大きなかごを抱えて川と砦の中庭とを何往復かして運び込み、ようやく今、中庭にいくつも平行に渡したロープへ端から端に洗濯ものを干しているのだ。
「お前が洗濯って、似合わないなあ」
シーツの下から見えるブーツが、たかたんと足踏みする。
まさか、服の中に石入れて振り回したりして洗ってないだろうな、といくらなんでもいつの時代の話だというようなことを言うので、してない、と仏頂面で答えると影がふむふむと頷く。
「でも足で踏んだりはしてるだろ」
「……」
「あんまムッキムキ踏むなよ〜 破けるぞ」
もう遅いとアイクは少し思いながら、手にしていた洗濯ものを足元にあったかごへ放った。
あたたかな風が吹き、二人の間にある柔らかな境界線が揺れる。
きれいに真っ白にになった洗濯もののひだが幾層にもなって、中庭をふわふわとと埋め尽くしているのはまるで光の海のようで、ぼんやりその中で佇んでいると思わず目がくらみそうになる。
「元気か」
「まあな。ていうか元気ないとか言ってる暇ないよ。スクリミルの奴張り切ってるしさ」
「戴冠式は? 準備は順調か」
「ぼちぼち。今回もそれ関連でメリオルまで行ってきたんだよ」
きらりと反射した白がアイクの視界を一瞬光で隠す。眩しさから逃れて目を瞑ると、目の奥がちかちかした。
「……ライ?」
一瞬の戸惑いに瞬きしながら目を開け、視線を前へ戻すとついさっきまであったはずの影が風に煽られたシーツから消えている。
思わず強い声音で名前が口から飛び出すと、何だよ、と何気ない返事とともにまたぼんやりとした影がふっと戻ってきた。
「いや」
帰ったのかと思った、とは言わなかった。ただ、顔見せないのか、と柔らかく呟く。
シーツがはたはたと風になびくだけの時間があって、ブーツのつま先がやがてとんとんと地面を小突く。
「顔、見ると帰りづらくなるだろ」
「む」
分かるような気もしたが同意はしかねるので短く唸っておく。そんな複雑な心情を見抜いたのか分からないが、ライが首を傾げるようにして小さく声を漏らして笑った。
「いや、うん、見たいけどなほんとは」
そして、話している途中で思いついたかのようにライが声を上げる。
「アイク、一歩前に来い、一歩だけな」
と念を押すように続けて、シーツ越しの影が大人しく待つ気配を見せた。
これをめくれば早いのにと、目の前で波立つシーツを見つめながら野暮なことを考えるけれども、アイクは黙って一歩踏み出した。
鼻先を、ふわりと乾いた布地が撫でていった。雲ひとつない青い空の陽気は、あっという間に洗濯ものの水気を蒸発させ、からりと乾かしていく。
やがて、アイクを包み込むように大きなシーツの両側が盛り上がり、するりと日焼けた腕が出てきた。その腕がさらに伸びて、アイクの腕を一瞬指先で触れるようにして位置を確かめ、腕と身体の間を通る。
身体へ腕を回し、アイクのに自分の胸を押し付け、包み込むようにやさしく力を込める。
抱きしめる、という動作が出来上がるのに時間はかからない。
ほんのりとあたたかな肌触りの布越しに、確かな体温のぬくもり、肩口に寄せられたライの髪の感触をアイクは感じ取る。
「アイク」
先ほどよりも身近でする声がじんと胸で響いた。
これ汚しちゃって悪いなと言ったのに、首を振って応えたのをライは分かっただろうか。
「……いい匂いがする」
すうっと深く息を吸い込んで吐く。
その、そよ風のような音を聞きながらアイクはライのしなやかな身体を抱きしめて捉え、ひくりと鼻を動かした。
陽の焦がれた、懐かしい匂いが胸を下りていった。



fin.
たぶん、イベントで配ったペーパーに載せたもの……だと思うのですがちょっと記憶があやふやです。
緑の庭に白い洗濯物がロープいっぱいに干してある風景って、なんだかいいですね。(ちょっとCMみたいだけど)
天気の良い日に干した洗濯物の、太陽の匂いってなんだかぎゅーっと懐かしくなる匂いがしませんか。

2014.5.3
This fanfiction is written by chiaki.