この、皮膚がぞくりと粟立つ気分の悪さと、巻き込まんとする憎悪や狂気の中にたつ居心地の悪さを、なんと言い表したらよいだろう。
アイクは、いくら鈍い自分でもここから見える、聳え立つ塔を見上げながら、周囲にたち込める歪んだ悪意に似たものに胸の奥底から吐き気がこみ上げかけるのをごくりと飲み込み、眉を寄せて静かに息を吐いた。
日が落ちるのにはまだ早い。なのに辺りは、塔の方から感じる剥き出しの敵意と正体不明の禍々しい気のせいか薄暗く、空気は淀み、どろりとまとわりついた。
ときどき聞こえるのは平静を失った獣の遠吠えで、狂気を孕むそれに何とも言い知れない異様な雰囲気が支配する。
苛立ちとは違う、やるせなさと言うには少し足りない、どうしようもない思いが胸を重くした。
何かにその思いをぶつけられたらよいのだろうか、と思うけれども、自分より酷く落ち込んでいるだろう仲間たちは誰一人としてそんなマネをしなかった。
次の戦いへ参加する者もそうでない者も、一様に唇を固く結んでその刻を待っている。
かつて同志だった、狂気に落とされた者たちを葬る戦いを。
傷つくなよ、と硬い声で猫は言った。
同胞たちが、研究と称して無理やり心を奪われたその真実を聞いてからというもの、ずっと塔を見据え、今は敵と呼ぶしかないまだ姿の見えない彼らを見据えたライがぽつりと言った。
アイクと同じように、いやアイク以上に、何とも言い表しがたい表情をにじませて言ったその言葉を、アイクは少し経ってから自分の中へ届くのを感じ、首を巡らせてみた。
傍らに立つライの姿は、さきほどとまったく変わらない。
今この人物が口を開いたのだろうかと思うほどに、微動だせず、ただ前を見ている。
傷つくなよ、とまたその口が動く。
何を、という意味を込めて、静かにアイクはライの横顔を見つめた。曇り空の影の落ちる色の良くない顔だ。
普段なら人の方を見て話すのに、ライはこちらを向かなかった。
ただ、もう一度同じことを呟くように口にする。
眼差しは、いつもの戦いの前と同じように鋭くあった。
なのに、全部が変だ、とアイクはうまく言えないけれどそう思って気付かれないように奥歯を噛む。
硬いけれどやさしい、いつもと変わらないお前の声。
心底傷ついた顔をして、人を心配する柔らかな心。
「……アイク、お前が傷つくようなことなんて、いっこもないんだからな」
ほんとうに、泣けなかった涙は、誰のものだろう。
fin.